京都市役所にできた茶室が | がいちのぶろぐ

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さて1泊2日という、強行日程で帰省をしていた千葉都民の娘家族は、5時ごろの飛行機で伊丹の大阪空港から帰途に就く、というLINEが届いた。

 

 

 

これで何事もなければ、6時過ぎには羽田に着いて、千葉の自宅へ向かうことになる。豆台風くんは、とにかく元気盛りの6年生で、素直にすくすくと育っている。

 

現在は熱心な〝サッカー小僧〟で、自宅がある千葉県内の市の少年サッカークラブで、それこそサッカー漬けの日々を送っている。それで良いのだ、外で思い切り遊ぶのが仕事だ。

 

それに加えて、塾へ行ったりもするから、けっこう多忙な毎日を送っているらしい。そんな中でも自主練として、時に自宅近くの河原をランニングしたりしているということだ。

 

そんな毎日で、太陽に晒されているから、海で日焼けしたわけでもないのに、鼻の頭の皮膚が日焼けで〝はがれて〟来ていたのは、なかなかのご愛敬だった。

 

 

 

〝ジイジに似て、根が色白だから〟と言っておいたが、本人には、その言葉があまり刺さっていなかったようだ。

 

ところで、今日、京都市から送られてきた広報のLINEでは、「生活文化に親しむ秋」というタイトルが着けられていた。何と言っても、この春から「文化庁移転」があったから。

 

広報でも「文化庁の京都移転を受け、同庁が機能強化の一つとして掲げる『生活文化(茶道、華道、書道、食文化、その他の生活に係る文化)の振興』に取り組む」と述べている。

 

 

 

つまり「京都の暮らしの中で培われてきた〝生活文化〟を体感するイベント」などを行って行こう、という趣旨らしい。

 

それというのも、京都市役所の本庁舎のリニューアル工事に伴って、高額の予算を投じて茶室を設置したことで、大非難を受けたことが原因しているように思える。

 

誰が使うというわけでもない茶室に、財政再建団体一歩手前という大赤字の現実を市長がいっさい顧みず、自分の見栄のために高額出費した、と散々に叩かれて来たのだ。

 

 

 

私も、そう思っている一人である。もちろん茶道の家元がある京都市だから、市役所に茶室を作って悪いとは言わないが、大赤字を作り出した張本人の「お前がやるな」なのだ。

 

赤字の民間企業なら、社長は賞与など出るわけもなく、給与だって全額返上か、それでもだめなら辞任ものだ。それを、〝いけしゃあしゃあ〟と給与も賞与ももらって居座っている。

 

そんな人間だからこそ、茶室に平気で多額の支出ができるという、図太い神経を持っているのだろう。これは同時に、そんな人間を何期にもわたって選んできた私たちが悪いのだ。

 

だから、あらためて「生活文化(茶道、華道、書道、食文化、その他の生活に係る文化)の振興」などと言って、茶室を作ったことを正当化している、ということも言えるのだろう。

 

そこで姑息にも、「御池茶会」などと言うアイデアを出してきた。「御池」とは、市役所の建物が「御池通」に面して、「河原町通」と「寺町通」の間にあるので「御池茶会」だ。

 

詳細としては、京都市内にある10の大学の茶道部が担当し、2カ所×4回/日×2日の16回開催で、2カ所で30人/回が参加できるので240人定員だという。

 

参加費は、大人1人1千円、学生・児童5百円となっている。市役所にも知恵者はいるから、こうして〝茶室を市民に開放〟すれば批判も収まるだろう、ということだと思う。

 

 

念が入ったことに、「着物で参加したい!という方には着付けプランも用意しています」と書かれていた。何ということでしょう、と言うしかないだろう。

 

もし茶室を作ったことに大非難が集中していなければ、こんなアイデアも生まれていたとは到底思えない。こうしたことを考えていたのなら、最初から説明していただろう。

 

とにかく〝後出し、後付け〟の印象が強いし、理由付けに文化庁を持ち出してみたりと、やることが因循姑息としか言いようがない。

 

最初は、京都市を訪問した外国の賓客をもてなす場、と説明していたと記憶する。市民などと言う言葉は、当時は欠片もなかった。見学会すら〝考えていない〟と言っていたと思う。

 

いやはや、こんな市長とわかりつつも、選び続けた私たちがバカでした、ハイ。