昨日の京都市は、7月26日に38.9℃を記録して以来の、最高気温38.9℃を記録した。
この半月余りでは、気象庁の記録では8回目の38℃越えであり、その中でも最高に並ぶ気温だった。ということは、昨日はただただ暑かった、の一言に尽きる。
昨日は午前中に、京都市国際交流会館で「多文化支援ネットワーク」の定例会議があったので、私もそれに参加していた。だから帰路は、その暑さの中を歩いていたことになる。
(朝から暑そうな雰囲気の会館周辺/でもこのオブジェは…)
会議は10時半から12時まで10人余りが参加して、この2か月間の動きや、これからの予定などを報告し合った。
それぞれの団体の皆さんが、それこそ活発に活動をされていて、ありがたいことに私たちの団体にも、このネットワークを介して講演依頼の〝お声掛け〟をいただくことが多い。
すでに9月に開催の集まりで、講演とワークショップにそれぞれお呼びいただいている。外国人とのコミュニケーションは、現状でとても大切なテーマになってきている。
特に都市部では、定住外国人が人口比で3%ほどになっているから、学校に例えれば、どのクラスにも1人は外国人がいる、という計算になってくる。
そんな状態だから、昨日も参加者の間であれこれ話が弾んでいた。ただ、ここでいつも思うのは、参加している男性は私一人なのだ。
現役世代の男性は仕事があるから、こうした集まりに来られないのはわかる。ただし、参加している女性の多くは、こうした取り組み自体をきちんと仕事にしておられる。
(ウクライナが「独立」して32年になる/写真展をやっていた)
そこが凄いというか、民間の財団だったり行政の外郭団体だったり、何らかの支援組織で職員として働いておられる。その上で、こうして外部の集まりにも顔を出しておられる。
ところで、昨日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌に、「外国人が『日本人との会話』で困ること・ワースト1」という、インタビュー記事が掲載されていた。
ジル・チャンさんという方が、インタビューに答えておられた。記事では、「『ハイコンテクスト型』のコミュニケーション」というキーワードで語られていた。
私たちの会話は、いわゆる〝空気を読む〟という感じで、「お互いの歴史・文化・言語の共通性を前提にして、言葉の省略や遠回しな言い方で間接的な表現を多用」する。
さらに、「表情や声のトーンから行間を読むことが求め」られることも多い。これは、東アジア圏の人たちの間では通用しても、欧米出身者には通用しないというのだ。
「欧米出身の外国人が日本人との会話で困るのは、まさにこの『ハイコンテクスト型』のコミュニケーション」だと、ジル・チャンさんは言う。
「遠回しな言い方などをしてしまうと、相手は意味が理解できず困って」しまうし、「発言内容を『聞き手』がきちんと汲み取って理解する」必要がある。
しかし「西洋文化圏」では、「伝えるべきことをその場ですべて言語化する『ローコンテクスト型』が主流」なのだ。
チャンさんは一例として、「男性が女性に『あなたの作るスープを一生飲みたい』」という表現を上げている。これはもちろん、私たちの感覚としてはプロポーズの言葉なのだが。
これが「西洋文化圏」だと、〝ただ、スープが飲みたいだけの人〟になってしまう、というのだ。これでは困ってしまう。だから、指輪を差し出して結婚を申し込む必要がある。
つまり、「情報がきちんと伝達されるかどうかは、話し手の言葉選び」に懸っているというわけだ。
だからこそ、私たちは「やさしい日本語」を説明する場合にも、「はっきり・最後まで・短く、しかも、ゆっくり」話しかけることを求めている。
途中で言葉をぶった切ってしまったり、最後はわかるだろうと省略したりしては、「ローコンテクスト型」の人を相手にすれば、きっと伝わらないのだ。
こんなことを、昨日の会議を思い出しつつ、偶然に見つけた記事を読みながら考えていた。〝情報を伝える〟とは、〝伝わるように話す〟という当たり前のことが重要なのだ。
〝そこは分かってくれ〟では、〝それは無理!分からないよ〟で終わることだってあるのだ。こんな単純なことが、とても大事なことなのだ。
だから記事の結論も、「話のポイントを明確にして、伝えたいことをはっきりと言葉にする」と結ばれていた。