奈良国立博物館の「聖地南山城」展にやっと行けた | がいちのぶろぐ

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今日は朝から、朝食や出掛ける支度にバタバタした結果、8時半過ぎには何とか家を出ることができ、地下鉄・近鉄を乗り継いで奈良まで行ってきた。

 

奈良国立博物館で開催されている「聖地 南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-」という展覧会を見るためだ。

 

 

 

近鉄奈良駅に着いたのは10時少し前。そこから博物館まで歩いて15分余り。大仏様の東大寺に近く、鹿がいっぱいいる奈良公園の一角にある。

 

 

 

駅からけっこうな上り坂を上り、奈良公園に近付くと外国人観光客がいっぱいいる。そして周りを鹿が取り囲んでいる。いや、鹿より外国人の人数の方が多いかも。

 

 

 

だから鹿が人間を取り囲むのか、外国人客が鹿を取り囲むのかは、それを見る人の見方の問題ということか。そんな気がした。ただ、立派な角を持った雄鹿は数が少ないが。

 

そこを通り抜けて、奈良国立博物館の新館にたどり着く。新館の西にある旧館は、現在は仏像館という名前になっている。私が以前に来たことがあるのは、この旧館の方だった。

 

 

 

 

100円割引の券を持参していたので、1,700円也を支払って入館する。それからが大変だった。会場の東新館・西新館を、全て埋め尽くすように展示されていたから。

 

 

 

 

第1章「恭仁京の造営と古代寺院」と題された展示から、「密教の広がりと山岳修験」、「阿弥陀仏の浄土」、「解脱上人貞慶と弥勒・観音信仰」と時代が下って来る。

 

そうかと思えば、「行基と戒律復興」となって、また「禅の教えと一休禅師」、「近世の南山城と奈良」というように、時代の移り変わりだけでは括り切れない形で進んで行く。

 

 

 

出展数は140点ほどだけど、展示はもちろん仏像も豊富だし、絵図・絵巻物や掛け軸、頂相に様々な古い書類などが、丁寧な解説とともに展観されている。

 

 

 

見終わるまでに、たっぷり2時間が掛かってしまった。やっと出口にたどり着いた時には、頭の中が軽くパニック状態になっていた。

 

展示されている仏像などを所蔵している寺院は、名前には聞き覚えがあるけれど、実際にそのお寺へ行って本尊を拝んだり、お堂や塔を見たりしたことがない寺院が大半だった。

 

 

 

それにしても南山城の古刹には、それぞれ由緒のある仏像が多い。京都市内の有名寺院は禅寺も多く、傾向として仏像よりも、絵画や庭園、茶室などが有名ということが多い。

 

もちろん京都市内にも、国宝や重要文化財といった仏像もあるけれど、ザックリとした感覚で言えば、彫刻は奈良、絵画と庭園は京都、という傾向があるのではないだろうか。

 

 

 

そのことを思えば、今回の「南山城」という地域は、展覧会のサブタイトルにもあるように「奈良と京都を結ぶ」場所だけに、京都府とは言っても彫刻が主体と言って良いだろう。

 

今回の展覧会のきっかけとなっているのも、国宝に指定されている「浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念」だから、という位置付けである。

 

 

(奈良国立博物館の庭園も立派だった)

 

その浄瑠璃寺は、京都府最南部の木津川市加茂町のさらに〝最南部〟にある真言律宗の寺である。このお寺の背後の山が、奈良県と京都府の府県境をなしているという場所だ。

 

だから、この寺の「九体阿弥陀仏」は浄土思想に基づく彫刻だけど、この寺がある地域一帯は「当尾の里」と呼ばれて、いわゆる〝摩崖仏〟が多数あるという地域でもある。

 

 

(浄瑠璃寺・九体阿弥陀堂/看板などの写真の仏像はこのお堂に)

 

こうした地域的な特性もあって、今日の展覧会は、私にとってはとても内容が〝濃い〟ものだった。とにかく、〝お腹いっぱい、たっぷり見た〟という感想だった。

 

12時半過ぎに会場を出て、近鉄奈良駅前まで戻って遅い昼食を食べた。それから、本数が少ない近鉄の京都行き急行を待って、我が家に戻ったのはなんと午後3時半だった。

 

歩き疲れていたのと、やはり暑かったということで、帰宅後には少し頭痛までするくらいだった。軽く熱中症気味かも、と思った。それとも、頭がパニックだったのかしら。