こう暑いと夕立が来て | がいちのぶろぐ

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今日は朝から、〝危険なほど暑くなる〟という予報が出ていた。そんな中を、私は午前中に岡崎公園にある京都府立図書館まで、ちょっと参考にする本を探しに出掛けていた。

 

 

 

目指す本はあっさりと見つかって、それを借り出す手続きもすんなりと終わった。その結果、府立図書館の図書館カードも作成できた。ただ、帰宅した時には大汗をかいていたが。

 

 

 

その帰り道、岡崎公園のバス停近くで、着物姿に襟にはショールを巻いたモデルさんが、秋冬向けらしい撮影をしておられた。寄りによってこんな日に、と思うくらいだった。

 

 

 

何しろ、太陽が当たれば瞬時に汗が吹き出しそうな姿だから、仕事とはいえ気の毒なほどに思えてしまった。付き添っているスタッフの方も、汗止めやら何やら大変そうだった。

 

 

 

帰宅後に見た午後の情報番組でも、東京都心部で37℃くらいになっている、などと言っていたくらいだから、午前中とはいえ、あの着物モデルの方も大変だっただろうなぁ。

 

そんなことを思っていたら、午後も3時ごろになって急に空が暗くなり、ゴロゴロッという雷鳴とともに、雨がザーッと降り出してきた。まさしく夕立という感じだ。

 

ただその雨の降り方もなかなかのもので、4時過ぎには、京都市から洪水に関する注意が届くくらいになった。ネットの雨雲情報では、京都市全域が真っ赤に塗られていた。

 

 

 

〝これは、洪水情報も届くわなぁ〟と、変な関心をしてしまった。これほど急激に気温が上昇すれば、確かに夕立が来ても不思議はない。でも、夕立という言葉を使わなくなっている。

 

ゲリラ豪雨とか、局地的な大雨という言い方に変わってしまった。それもまた、情緒がないことだと思うが、被害が出るようなら、情緒などと言っていられないのだろう。

 

 

 

昔は(昔話など、誰も聞きたくもないだろうけれど)、町中でも今ほどにはアスファルトジャングルではなかったから、雨水が一時的にたまる土がむき出しの場所が多々あった。

 

それが今では、雨水がそのままアスファルトの表面を滑って行って、下水道へ流れ込みドッと下流へ走り去って行くから、どこかに無理が来て水が溢れ出すようになる。

 

これを〝進歩〟というのかどうなのか。いずれにしても、便利だとか、快適だとかいう暮らし方は、常に何かを引き換えにした上で成り立っているに違いない。

 

今日は、昨日送られてきた経営情報誌「理念と経営」の8月号に、面白そうな記事があったので、それを紹介したいと思っていたのだが、こんな夕立の話になってしまった。