「永代供養」について考えていた | がいちのぶろぐ

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私も一時期顔を出していた勉強会があって、今日はそのグループの幹事の方から、10月に3年ぶりになるけれど〝修行の集まり〟を予定している、という連絡メールが来た。

 

メーリングリストには掲載されているけれど、最近その勉強会にはまったくご無沙汰しているので、私はこの〝修行の集まり〟にも顔を出さないと思っている。

 

ただ、会場となるお寺のホームページのURLが載っていたので、そのお寺はどんなお寺なのかと思って、ちょっとホームページを覗いてみた。

 

そのお寺には入ったことがないけれど、何度かは前を通ったこともあるし、お寺の門前にある町内のお地蔵さんがあまりに立派なので、しばらく眺めていたこともある。

 

そんなことだったので、興味を持ってホームページを見ていたら、面白いページを見つけた。そのお寺にある、「永代供養墓」について書かれていたページだった。

 

「永代供養墓をご利用されている方々の例」として、以下のような記載があった。

 

2.親の墓が遠方のため維持管理ができない。

3.後継者に墓守の負担をかけたくない。

4.独身で後継者がいない。

5.離婚したため入る墓がない。

6.子が結婚していないため、家の継承が困難。

7.配偶者と一緒の墓に入りたくない。

8.墓守の新しい形態として永代供養墓を利用したい

 

1番目には、〝そのお寺の『由緒』が気に入ったから、自分はそこに葬られたい〟という趣旨のことが書かれていた。そのまま正確に書くと、お寺が特定できるので省いたが。

 

もちろん、普通にこのお寺の墓地を購入して墓を建て、毎年の維持費を支払って行くことも可能である。その場合は、子や孫の世代に墓を引き継ぐことになる。

 

 

 

そうではなく、自分の世代でそれなりの金額を支払って「永代供養」をしてもらい、その後は次の世代以後にいっさい面倒を掛けない、というのが「永代供養」の意味である。

 

そこで、上に書いた2番目から8番目までの中味である。2番目は「親の墓が遠方」にあるため、この際そちらも〝墓仕舞い〟をしてしまおう、ということかもしれない。

 

その後の3番目からは、〝自分の身は自分で終わらせる〟ということになる。それによって、次世代以後は親や先祖代々の〝墓守り〟のことを心配しなくていいことになる。

 

いやもっと切実な話をすれば、自分が一生「独身」だったり「離婚」していたりする場合には、今までの〝家の墓〟という概念からみれば、人生のあり方自体が変わってきている。

 

さらに、次世代が「独身」だから次々世代が存在しないとか、「配偶者と一緒の墓に入りたくない」といった切実な話も、現実問題としてはあり得ることなのだ。

 

 

 

このように、時代は家族の形や関係性が大きく変わり始めている。LGBTQに関する法律が(今回の法律自体は、問題だらけの内容だが)できる時代にもなった。

 

キリスト教の場合などは、個人墓という形式をとるから、それはそれで墓を作ることの必然性は出て来るだろうが、日本の仏教では、今もなお「○○家之墓」なのだ。

 

さてこれから、〝日本の仏教〟の教義として、LGBTQとどのように向き合ってゆくのだろうか。そしてそれが、今後、「墓地」の形式にどのような変化を生じさせるのだろうか。

 

実は我が家も、只今、墓を本家筋の墓から独立させるために、墓石の発注を行おうとしているところなので、このホームページの内容には随分と考えさせられた。

 

私の息子のところは孫が女の子だけだから、とりあえず今後も「○○家」という考え方が通るとしても、次々世代の孫にすれば、〝墓守〟なんぞは単に負担となるだけかもしれない。

 

 

 

ちょっと身につまされるような話だったが、これも見方を変えると、お寺さんの側からすれば収入源が絶たれて行くのではないか、という話でもあるのだ。

 

宗教と言っても、高額壺売り宗教やら、献金巻き上げ宗派などと、いろいろなケースもあるが、ごく普通の宗教であっても、宗教自体が大きな曲がり角にあるのだと思う。