「京の夏の旅」の特別公開に | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日のブログでは、午後から、祇園祭の後祭りの曳山「鷹山」で行われた、「曳き初め」を見物に出掛けたことを書いた。

 

 

 

それはその通りだけど、実は午前中に「京の夏の旅」として行われている「旧前川邸・東蔵」の特別公開と、その近くにある「壬生寺」にも出掛けていた。

 

 

 

「旧前川邸」というのは、新撰組の屯所として有名な「八木邸」の向かいにあり、新撰組がともに借り受けて、屯所として使用していた屋敷である。

 

 

(旧前川邸の外観)

 

そして今回公開されているのは、その前川邸の中の「東蔵」と呼ばれている建物である。この前川邸は現在も住んでいる方があり、通常は拝観謝絶とされている。

 

 

 

ところが今回公開された「東蔵」は、老朽化で傷みがひどくなっていたらしい。そこでクラウドファンディングで寄付を募り、外壁や屋根の修復を行ったという。

 

 

 

それをきっかけに、今回はこの「東蔵」の公開に踏み切ったと、説明役のボランティアの方からお聞きした。

 

その「東蔵」というのは、金倉となる地下もある2階建てで、地下部分への出し入れ用に、2階の床に穴が開けられ、天井から滑車が吊るされている。

 

この滑車を使って、地下と1階、2階とでもの〟の上げ下げができる。たまに見かけることがある、裕福な金貸し業などの旧家の蔵と言っても良いだろう。

 

 

(竹囲いされているところが2階には穴が開き、地下にもなっている)

 

という設備のある蔵だが、歴史的にはこの「東蔵」で、新撰組によってむごい拷問が行われていた。〝河原町四条上る〟の「枡屋喜右衛門」という商人が、ここでその拷問にあった。

 

 

(イメージは湧くと思う、イメージしたくないけれど)

 

「枡屋喜右衛門」は、またの名を「古高俊太郎」という攘夷派の志士だった。そして彼は、長州藩の密偵として働いていたが、新撰組にそのことを知られて捕らえられてしまう。

 

連れ込まれたのが、新撰組の屯所となっていた前川邸の「東蔵」である。そこには、滑車付きの穴が開いていた。これを使うことを「土方歳三」が考えたらしい、知らんけど。

 

その結果、滑車に逆さ吊りにされ、ここには書けないほど凄惨な拷問が行われた。それで古高俊太郎が、耐えられずに口を割ったのが、長州藩士の密議の会合の件である。

 

さすがに正確な場所までは、言わなかったのか、知らなかったのか。または、その白状自体が虚偽のものだったのか。とにかく、日付と漠然とした場所だけを新撰組が知り得た。

 

この情報を元に、いくつかのグループに分かれて、京の町を「誠」の羽織姿が駆け回ることになった。そして踏み込んだのが「池田屋」という旅籠だった。

 

これが、かの有名な「池田屋騒動」である。最初は近藤勇チームの10人ほどが踏み込んだらしい。その後は、土方チームなども駆けつけて、長州藩士と大乱戦になったらしい。

 

この「池田屋」は木屋町三条にあり、切り結びながら外に出た結果、三条大橋の上まで乱戦が移動したため、三条大橋の「擬宝珠」にはその時の刀傷が残されている。

 

 

(三条大橋の擬宝珠/多分あそこの筋の部分かな?)

 

この騒動で亡くなった長州藩士には、長州の松下村塾で俊才を謳われていた吉田稔麿もいたという。これらのことは、事実かどうか私は知らない。

 

とにかくこの事件によって、新撰組の名前が世間に知られるようになった。こういう歴史があったということは、もちろん行く前から私もうっすらとは知っていたが。

 

昨日は、ボランティアの説明役の方が、こうした幕末の歴史にとても詳しい方で、いろいろとお教えいただけた。

 

 

 

ということで特別公開の「旧前川邸」を出て、斜め前と言ってもいいくらい近い距離にある「壬生寺」に向かった。

 

「壬生寺」も普段は入れない本堂の中や、所蔵の刀剣類などを特別公開しているのだが、それはちょっとご遠慮を申し上げて、「壬生塚」だけを見に行った。

 

「壬生寺」そのものは、壬生念仏狂言で「炮烙割り」という有名な演目が行われている。節分に「炮烙=素焼きの皿」に願い事を書いて納め、それを狂言の舞台で割り砕いてくれる。

 

こうして願いが聞き届けられる、ということになっている。私も3年前には、抗がん剤治療中の身を押して出掛け、「病気平癒」と願いを書いてお納めしたことがある。

 

 

 

おかげで、今日まで生き延びている。いや、本当は現代医学の進歩のお蔭なんだけど、そこは「気分、気分」ということで。

 

それで昨日は、壬生寺の一角にある「壬生塚」と呼ばれる場所を見てきた。ここには新撰組隊士の慰霊塔や、近藤勇の胸像などがある。

 

 

(近藤勇の胸像/ちょっと人が混んでいたので)

 

そこに、今年は新撰組設立160周年なので、記念事業(?)として、今月16日に「土方歳三の胸像」が建てられて除幕された。

 

 

 

だから、これは見ておかないと、ということで、こちらにも寄ったということだ。まあ写真を見てもらえば、胸像はキリッとした美男子に仕上がっている。

 

 

(壬生寺は御覧の通りの混み(!)具合だった)

 

ということで、昨日の午前中は壬生寺方面に出掛けていたということで。