祇園祭の後祭りは、今日が曳山の〝曳き初め〟の日だった。私も暑い中を午後2時過ぎから、「鷹山」の〝曳き初め〟を見るために出掛けていた。
数日前の猛暑日というほどではなかったと思うが、それでも午後2時ごろと言えば暑い盛りの時間帯。その中を、市バス・地下鉄を乗り継いで「三条室町」まで。
昨年は同じ20日に「鷹山」へ行くには行ったけれど、曳き初めの時間帯ではなかったので、ただ立っている曳山を見て、お囃子を聞いただけで帰ってきた。
それで今日は、そのリベンジというと大袈裟だけど、やはり〝曳き初め〟を見ておきたいと思ったので、3時から予定されていた〝曳き初め〟に合わせて家を出た。
(「鷹山」の真木の枝にとまっている「雉」)
午後2時半過ぎには「鷹山」のある三条室町に到着した。ここは、私が懇意にしている税理士の方の事務所が入るビルと〝ほんねき(すぐ近く)〟なので、何度も通りなれた道。
「鷹山」の周囲では、囃子方や大工方などといった直接に山に関わる方ではなく、まさにスタッフというか関係者の方々が大勢出て、交通整理をしたり準備作業を行っていた。
なんだかんだの準備作業が行われた後、3時10分前になって、いよいよ山の上に陣取った囃子方が〝トン、トーン、トン〟と太鼓を打つ音がした。
そこからは、「そーれっ!」の掛け声とともに鉦の音が響き渡り、かぶせるように笛が割って入ると、山の前に立つ〝音頭取り〟が扇子を返して動き始める。
一方で、関係者の方は引き綱を伸ばして、町内の人や招待された人などに綱を持たせる。中には、外国人や大勢の小さな子どもたちまで綱に手を掛けている。
役員の方が曳山と道に清め塩をして、いよいよ準備が整った。音頭取りが、「エンヤラ、ヤァー」と掛け声をかけると、一斉に綱が引かれて車輪がゆっくり回り始める。
三条通りの〝室町西入る〟から出て、一筋東の両替町通りまで、通り一筋分だけ山が動いて行った。動き始めた途端に、どこからともなく拍手が沸き起こる。
動き出しこそ重い感じがするが、車輪が回り始めると案外スムーズに動いて行く。むしろ大工方が進路を細かに調整し、速度を制御していた。
わずか10分余りの曳き初めだったと思う。それでも綱を持った多くの人たちの顔は、晴れ晴れとしていたし、子どもたちも誇らしげな顔だった。
これで曳き初めは終わり、音頭取りは山から下りて、今度は山の反対側に綱を掛け、元の場所までゆっくりと引き戻す。
これで、明日の夜からは宵山ということになる。後祭りの場合は、前祭りのように多くの人出がある喧噪の宵山というより、比較的落ち着いた雰囲気となる。
24日は、前祭りの巡行経路とは逆方向に回って行く。朝9時半に烏丸御池を、くじ取らずの橋弁慶山を先頭に出発し、京都市役所前のくじ改めに臨んでから巡行して行く。
また24日は、山鉾の巡行時間帯に合わせて花傘行列があり、夕方からは還幸祭で、御旅所に留まっていたお神輿が、氏子町を巡って八坂神社へ帰って行く。
1カ月に及ぶ祇園祭祭りも、これでいよいよ最後の盛り上がりに向かって動き始めた。