初の経験で大谷大学博物館へ | がいちのぶろぐ

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初体験だった。といっても、爺さんが不謹慎なことを書こう、というわけではない。今日、大谷大学のキャンパスに初めて足を踏み入れた。

 

 

 

京都市内の烏丸北大路交差点にある、比較的小規模な大学の大谷大学。京都に多くある大学でも、規模の大きな大学には、これまでも何らかの機会にキャンパスに立ち入っている。

 

京都大学、同志社大学、立命館大学、京都産業大学、龍谷大学、京都工芸繊維大学、京都府立大学などがそれに該当すると思う。

 

 

(京都大学)

 

一方で小規模の、特に女子大学であれば、キャンパス内に入ったことが無いところが多い。現在は共学になっていても、過去には女子大だったところはやはり入っていない。

 

 

(京都ノートルダム女子大学/近付くこともない)

 

そんな中、元々から共学だった大学で、私の記憶でキャンパスに立ち入ったことが無いのは、この大谷大学と佛教大学、京都教育大学、それに京都外国語大学くらいだろうか。

 

 

(仏教大学)

 

他にもあるかもしれないが、とりあえず思いついたのがこれくらいということだが。

 

もちろんこれらの大学も、正門の前を通ったということは数多くある。つまり、大学がどこにあるかはもちろん知っている。だが、中に入る用事が特になかったということだ。

 

例えば、何か資格試験や「京都検定」などを受験するとき、その試験会場になっていたから、その大学のキャンパスに入ったというケースがある。

 

それから、講演会や学会、または何らかのイベントがあって、そのために大学のキャンパスに入るということもある。その大学を卒業していれば、もちろん入っているのが当然だ。

 

 

(同志社大学/同志社女子大学/キャンパスがかぶさっているので)

 

それやこれやで、大学に立ち入ることもけっこう多いのだが、大谷大学は今まで中に入ったことが無かった。それでも最近は、外から見ていても新しい綺麗なビルが建っている。

 

 

(大谷大学響流館)

 

そんな大谷大学の「響流館」という名前のきれいな建物に、「大谷大学博物館」ができていた。名前からも察しがつくかもしれないが、こちらは東本願寺系列の大学。

 

その博物館で、「賀茂の歴史と信仰」と題する展示が行われているので、今日の午前中に出掛けてきた。しかも、嬉しいことに観覧料無料となっていた。

 

 

 

リーフレットの説明によると、「大谷大学がある京都市北区小山の地は、かつて上賀茂神社(賀茂別雷神社)の社領」だった。

 

この「上賀茂神社の歴史は古く、神代に賀茂県主という一族が、賀茂別雷神を奉斎したことに」はじまる、というから神代からのスゴイ歴史だ。

 

その「上賀茂神社の祭礼である賀茂祭は、葵祭ともよばれ、『祭り』といえば賀茂祭をさすと言われたほど有名な祭儀」だった。これはよく知られた話だ。

 

 

(リーフレット表面も「賀茂競馬図屏風」がモチーフ)

 

その「賀茂祭の前におこなわれる勇壮な賀茂競馬は、寛治七年(1093)に上賀茂神社でおこなわれるようになってから、今年で930年目」になるそうだ。

 

そこで、「江戸時代後期の画家・横山華山の賀茂競馬図屏風」や、上賀茂神社の古文書などを展示して、「上賀茂神社の歴史と信仰の一端」を紹介したということだった。

 

とまあこういう展覧会で、何よりも知人が何人かこの展覧会に出掛けて、「賀茂競馬図屏風」を見たとSNSに書き込んでいたので、私も見たくなってしまった。

 

 

 

それに、私としては大谷大学に初めて立ち入ることができるし、ということで、出掛けて行った。会場は響流館の1階部分だけを使った、こじんまりとした博物館だった。

 

だけど、「賀茂競馬図屏風」は六曲一双の立派なもので、競馬神事の場面を生き生きと描き出していた。大勢の人が、疾走する馬と馬上の人物に声援を送っている景色だった。

 

出口で展覧会の感想のアンケートに回答をしたところ、タイ更紗の文様の入った可愛いメモ帳を頂戴できた。これは思わぬ得をしてしまった。

 

 

 

館内は残念ながら撮影禁止だったけれど、ほぼ江戸時代を通して上賀茂神社に起った様々な出来事の記録が残されていて、それが解り易く展示されていた。

 

ある意味〝細かすぎる〟と言えるほど、マニアックなところもある展示だったが、上賀茂神社を中心として、現在の京都市北部地域がどのように結びついていたかがよく分かった。

 

たまには、こうした展覧会も楽しいものだ。何よりも、私はこの展覧会を独り占めしながら観覧できた。こんな贅沢なことは、申し訳ないとすら思えてしまう。