祇園祭の山鉾巡行の「山一番」 | がいちのぶろぐ

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昨日のブログで、「今日は祇園祭のくじ取り式がある」ということを書いていた。そして、今朝の京都新聞の朝刊にも、当然ながら1面にその様子が掲載されていた。

 

 

 

また祇園祭山鉾連合会もホームページ上で、京都市文化市民局が発出した印刷物の形で、くじ取り式の結果を報告していた。それによると、以下のような順番になっていた。

 

 

(ホームページより)

 

「祇園祭くじ取り式の結果について」

本日午前10時から、京都市会議場で「くじ取り式」が執り行われ、その結果、本年の祇園祭山鉾巡行の順番が決定しましたのでお知らせします。

<祇園祭山鉾巡行順番>

【前祭(7月17日)】

1  くじ取らず 長刀鉾   2  山 1 番 山伏山    3  山 2 番 白楽天山

4  山 3 番 芦刈山    5  くじ取らず 函谷鉾   6  山 4 番 郭巨山

7  傘 1 番 四条傘鉾   8  山 5 番 木賊山    9  鉾 1 番 鶏 鉾

10 山 6 番 油天神山   11 山 7 番 孟宗山    12 山 8 番 霰天神山

13 鉾 2 番 菊水鉾    14 山 9 番 保昌山    15 傘 2 番 綾傘鉾

16 山 10 番 太子山   17 鉾 3 番 月 鉾    18 山 11 番 伯牙山

19 山 12 番 蟷螂山   20 山 13 番 占出山   21 くじ取らず 放下鉾

22 くじ取らず 岩戸山   23 くじ取らず 船  鉾

 

【後祭(7月24日)】

1  くじ取らず 橋弁慶山  2  くじ取らず 南観音山  3  山 1 番 浄妙山

4  山 2 番 八幡山    5  山 3 番 鯉 山    6  くじ取らず 北観音山

7  山 4 番 黒主山    8  山 5 番 役行者山   9  山 6 番 鈴鹿山

10 くじ取らず 鷹 山   11 くじ取らず 大船鉾

 

こうして、最も重い「月鉾」なら20トン以上もあるという巨体を揺らせつつ、17日の前祭と24日の後祭には、京都の中心部を練り歩くことになる。

 

 

(昨年の巡行「長刀鉾」)

 

この山鉾巡行は、先日からブログで何回か書いていたように、まさに「風流(ふりゅう)」という言い方がされる、「神様へのお供え物」という意味合いの行事である。

 

神様がこうした「出しもの」を喜んでくださって、今年も災厄を払い、人間界の無病息災・五穀豊穣をお守りくださる、というのがこの祭りのストーリーということになる。

 

 

(綾傘鉾では「棒振り」が演じられる)

 

とは言え、そうした祭りの建前的なものも、今ではすっかりどこかに飛んで行ってしまって、この山鉾巡行が祇園祭のメインという誤解を受けてしまっているきらいがある。

 

祭りとしての本線は、あくまでも神様が神輿に載って氏子町を回り、人間に誼(よしみ)をつないでくださる、というところにある。

 

だから山鉾の巡行が終わった17日の夕方に神社を出発し、3、4時間かけて神様が載った神輿が氏子町を練り歩いてから、御旅所に注輦(ちゅうれん)する。

 

 

(御旅所に注輦する神輿)

 

そして1週間の間、氏子たちの元で〝のんびり〟と過ごされてから、24日の夕刻に「還幸祭」として、再び氏子町を回ってから夜分に神社へお戻りになる。

 

ということはさて置いて、「前祭」であれば先頭を行く長刀鉾の後ろに続く「山一番」を引き当てたのは、7年ぶりという「山伏山」だった。

 

この山は、「山伏」の「浄蔵貴所」という、法力・念力の強い修験者がご神体で、それが飾られているシーンは、「傾いた八坂の塔」を「念力で元に戻した」場面だとされている。

 

 

(法観寺「八坂の塔」)

 

そんなバカな、と言っては身も蓋もない話になる。そこで、この人をイタリアに貸し出して、〝ピサの斜塔〟を真っ直ぐな〝ピサの塔〟に戻してもらえば、と思ったりもする。

 

ということで、この「山伏山」には、宵山の期間中に修験道の総本山の聖護院から山伏さんたちがやって来て、護摩供養をするのが恒例だそうだ。

 

また「後祭」は11基の山鉾の中で、1、2番目は「くじ取らず」だけれど、その後になる「山一番」は去年に続いて「浄妙山」がくじを引き当てた。

 

 

(昨年の後祭の「浄妙山」/多くの矢が欄干に突き刺さっている)

 

ただ前祭とは違って、6分の1の確率だから、2年続く可能性も高くなる。こちらは、「宇治川の橋合戦」がテーマになっている。

 

平家打倒を掲げて立ち上がろうとした高倉宮以仁王が、事が露見して平家の大軍に追われることとなり、宇治橋の袂で少ない手勢で決戦を挑まざるを得なくなった。

 

その時に以仁王に従って、三井寺の荒法師・筒井浄妙らが宇治橋の上で奮戦をしたけれど、あえなく負け戦となり、以仁王は落ち延びる途中、現在の木津川市で討たれてしまう。

 

 

(長刀をふるう筒井浄妙と、それを乗り越えて戦おうとする一来法師)

 

また平家に反旗を翻した総大将の源頼政は、宇治橋の袂の平等院の一角で自害する。この場所は、今も「扇ノ芝」として平等院の境内の片隅に残されている。

 

奮戦した筒井浄妙も、以仁王と共に木津川市のあたりで討ち取られたらしく、今は以仁王の陵墓のそばの陪塚が、浄妙の墳墓とされている。

 

というような背景を持っている2つの山が、それぞれ前祭と後祭の「山一番」と決まった。

 

〝だから何?〟と言われても困るけれど、何でこんな「山」があるかというと、そこにはご神体をとなっている人形それぞれにストーリーがある、ということで。