隣りの外国人とのお付き合い | がいちのぶろぐ

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今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌の記事で、「日本へ移住の中国人家族」の様子を記した記事に目が止まった。

 

この記事は、日本に在住して、福祉コンサルティング関係の仕事をされている中国人女性の方が、日本に移り住んだ、2組の中国人家族のことを書いた記事だった。

 

一組目は、上海から大阪にやって来た家族で、中国でも生活に不自由はなかったけれど、中国国内の教育方針では、「子どもの将来のため」に「危機感を覚え」たから来たという。

 

そして、「一度も日本を訪れたことがなく、全員日本語が話せない」状態からのスタートだったけれど、「人情味と面倒見の良い人が多い」地域に住めたことも幸いしたらしい。

 

 

 

例えば、「区役所でいろいろ面倒な手続きをする際、日本語が分からない私たちに、職員が親身になってくれた」ということだった。

 

また、日常生活面でも「丁寧なサービスを日々享受しており、とても居心地がいい」という。それに大阪らしいというか、「食べ物は何でもおいしい」と感じているそうだ。

 

また2人の子どもたちも、「教育委員会による外国人向けの無料日本語教室に通って」おり、「学校側が中国語の通訳を付けて親とコミュニケーションを取る」ことにも感謝している。

 

今ではどこの自治体でも、こうしたきめの細かい定住外国人対応と熱心に取り組んでいる。だからこの家族は、日本に来る決心をしたことをとても喜んでいるようだ。

 

もう一組は、北京から東京にやって来た家族で、こちらも「子どもの教育のため、家族を守るため」に、日本へやって来たという。

 

ご主人は「大学で日本語を専攻」し、また「夫婦でフランスに留学したことがあり、英語、フランス語が堪能」なので、「欧米からの旅行者向けの旅行会社」を経営しているらしい。

 

ただこちらの家族は、「多くの外国人が経験する」ように、日本で「困ったことは、やっぱり住まい探し」だったということだ。この話は割とよく聞く。

 

そうしてやっと見つけたアパートだが、子どもがまだ小さくて「大声で泣いたり、家中を走り回ったり」する。この子どもを「叱る妻の声がまた大きい」という。

 

子どもを叱る「妻を止めるために僕も大声を出し、夫婦げんかになる」こともある。だけどこれが、同じアパートの住人にしてみれば騒音に感じられる。

 

これって、特にアジア系の人の場合には〝あるある〟話かもしれない。日常会話でも、何となく声がでかいのだ。しかもそれが外国語の会話だから、周りの人から驚かれてしまう。

 

こうしたことで、アパートの隣人からは冷たい目で見られているという。わかるなぁ、この話。特に東京とその周辺だと、生活の中での大声は嫌がられるだろう。

 

その点、大阪の場合はラテン系の血が入っているのでは、と思わせるくらい〝ご陽気〟な方が少なからずおられるから、こうした場合に助かるところもあるのだが。

 

ということで、この家族の場合は周囲との関係で気まずいものがあるらしい。ただこの家族も、自分たちの日常生活では、周りの人たちの善意を感じ取っている。

 

例えば、子どもが「通っている保育園の先生たちがとても優しい。妻は片言の日本語しか話せないが、いつもゆっくり話したり、筆談したりしてくれる」ということだ。

 

 

 

これなど、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が、昨年度、保育・幼児教育施設で、〝外国人保護者への対応〟を調査した時によく聞いた話だ。

 

だからこの家族も、「日本は健全な社会」であり、「助け合いの精神があり、基本的人権も尊重されている」と述べている。

 

この記事の筆者も、「社会の問題が背景にあり、子どもの将来に不安を感じ」て日本に来た人たちだけど、「異国の地で生きるのは何にせよ大変なこと」だと結論付けている。

 

この記事は中国人家族の話だが、「どこの国から来た人」でも、「現地の人々と協力し合って暮らしていくことが可能な社会を実現させる」ことが大事だと、締めくくられていた。

 

ホントにそう思う。この国には、すでに300万人近い外国人が暮らしている。これを学校の教室に例えるなら、どのクラスにも1人ずつ外国人が入っている割合なのだ。

 

それくらいに、定住外国人はもう珍しいことではなくなっている。ただ、やはり異文化圏からやって来た人が、まだこの国の文化と馴染めない、ということは起こり得る。

 

 

 

そこを、お互いが暮らしやすい社会とするためには、スムーズなコミュニケーションが取れるようにすることも、また必要なことだと思う。

 

特に、仕事として定住外国人と接する機会があるならば、記事にあったように「長い時間や手間をかけて、丁寧に対応」することも必要になるだろう。

 

また「ゆっくり話したり、筆談したり」というように、臨機応変に接する必要もある。だからこそ、コミュニケーション・ツールとして「やさしい日本語」の出番なのだと思う。