「嵯峨祭」の剣鉾とお神輿 | がいちのぶろぐ

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明日からは、遠く離れているけれど台風2号の影響が現れて、数日間は雨模様が続くという天気予報になっている。

 

 

 

そんな天気が崩れる直前の今日は、京都の大観光地の嵯峨・嵐山一帯で、「嵯峨祭」の神輿と剣鉾の渡御が行われた。

 

 

 

これは京都の西にそびえる愛宕山に鎮座する「愛宕神社」と、嵐山の〝竹林の小径〟にある「野宮神社」の合同のお祭り。

 

 

 

なので、嵐山から嵯峨野、北嵯峨、そして奥嵯峨鳥居本といった、有名な観光地を氏子町とする祭礼ということになる。

 

 

 

嵯峨釈迦堂清凉寺の門前にある、「愛宕神社」と「野宮神社」の御旅所の前に、5基の剣鉾と2基の神輿が勢揃いし、10時に御旅所を出発して、まずは北嵯峨大覚寺を目指した。

 

 

 

 

剣鉾は長い柄の先が剣の形をしたかなり重いものだが、一人でこれを差し上げて(これを鉾差しという)、足をクロスさせて運び始めると、周りから拍手が起こった。

 

 

 

基の剣鉾の中に、まだ高校生かと思われる若い衆が差している鉾もあった。これには、ひときわ大きな拍手が上がった。

 

 

 

剣鉾が清凉寺の仁王門の前を回って行くと、次は「愛宕神社」の神輿が、御旅所の拝殿の周りを一回り〝もんで〟から通りに現れ、拍手に送られて清凉寺に向かっていった。

 

 

 

 

しんがりは「野宮神社」のお神輿が、同じように御旅所で〝ホイット、ホイットー〟の掛け声とともに、神輿を跳ねさせて拝殿を一回りし、清凉寺の仁王門へと向かった。

 

 

 

 

こうした祭りの風景を見ていると、どこのお祭りも神輿を担ぐといった共同作業を通して、地域での世代を超えた人のつながりが生まれて来るように思える。

 

 

 

 

中には、きっと住人だと思うけれど、欧米系の顔立ちの方も法被姿で、神輿の周りを歩いておられた。担ぐには少しお歳を召されている方ではあったが、表情は楽しそうだった。

 

私は、剣鉾と神輿を見送った後は、嵯峨釈迦堂清凉寺の仁王門から中へ入り、本堂のお参りをしてから、境内をグルッと一回りしてから帰路についた。

 

 

 

 

 

ここも大きなお寺で、本尊の「釈迦如来像」は清凉寺式と言われる彫像。これは長野・善光寺の阿弥陀如来、京都・因幡堂平等寺の薬師如来と並ぶ、日本の三如来とされている。

 

 

 

 

 

この釈迦如来像を中国から持ち帰った奝然は、この清凉寺を都の東北・比叡山の延暦寺と肩を並べる、都の西北・愛宕山の麓の寺にしようという意図があったらしい。知らんけど。

 

 

 

 

その後紆余曲折があって、今は法然上人の像が境内に建つ浄土宗のお寺。それよりも、境内の一隅には「嵯峨大念仏狂言」のための狂言堂があり、4月には公演が行われている。

 

 

 

これは壬生大念仏狂言・えんま堂大念仏狂言と並ぶ、三大念仏狂言となっている。というお寺で、私にはよくわからないが、境内には豊臣秀頼公の首塚もある。

 

 

 

 

ということで、今日は朝から遠出をしていた。