「やさしい日本語」の考え方とは | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

このところ、立て続けに講演依頼を受けている。私が、ではなく私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が。

 

ホントに、突然降って湧いたように、次から次へとお話を舞い込んでくる。それも、ガチガチに堅い、お役所関係からの依頼というケースが多い。

 

 

 

さすがに今のお役所は、「寄らしむべし、知らしむべからず」という発想では、やって行けない。内容が住民サービスであったり、住民相手の業務であったりするから。

 

そうなって来ると、役所が相手をする住民は、日本語を〝第一言語〟として育ってきた人ばかり、と考えてはいられない。何しろ、世の中がグローバル化しているから。

 

 

 

定住外国人の方にも知ってもらうべきことは、きちんと伝わっていないと困る。そのためには、それにふさわしいコミュニケーションの道具が必要になる。

 

このコミュニケーションの道具として、「やさしい日本語」が随分と高い利用価値や、意義を持って来ている。特にお役所業務では、背に腹は代えられないということだ。

 

今までの〝お役所言葉〟といえば、とにかく漢字メインであり、さらに熟語であり、挙句の果ては〝四文字熟語が幅を利かせる社会〟だったように思う。

 

この原因は、旧軍隊においては日本国中から集まるから、お国言葉で話していれば、内容の伝達に時間が掛かって仕方がない。

 

だから、出身地が違っても意思が通じるように、徐々に漢字や熟語の読み下しが、〝統一用語〟のような働きをしたのだと思う、知らんけど。

 

ただこれは、日本語初心者にとっては難しい言葉になる。結果的に、意図しなくても住民を「寄らしむべし、知らしむべからず」という状況に追いやってしまっていた。

 

 

 

もしも日本国内で生まれ育ち、学校教育を受け、日本語を使って生活していても、まったく聞いたことが無いような単語と出会ったら、どう思うだろうか。

 

多くの人は、「何?それ」という感覚に囚われてしまうかもしれない。それが「お役所言葉」と言われてきたものの、正体だったのではないかと思っている。

 

だから「やさしい日本語」というのは、〝誰も〟が〝どんな状況〟でも、とにかく伝わるような、分かりやすい表現をしようということに尽きる。

 

「緊急に避難してください」というよりも、「とにかく逃げて」という方が、子どもたちにとってわかりやすい。

 

あえて「避難食提供場所」と書かなくても、「ここでご飯を渡します。誰でも無料です」と書いてあれば誰にもわかりやすい。〝それだけのこと〟と言ってしまえば、その通りだ。

 

「やさしい日本語」のもう一つのポイントは、「ゆっくり話すこと・短い文章にすること」だろう。書き言葉ではなく、話し言葉の問題になるけれど。

 

たったこれだけでも、随分といろんなことが今までとは違ってくる。例えば「高齢者保険窓口」と書いてあれば、普通なら〝わかるだろう〟と思ってしまう。そこを見直す。

 

「70歳(さい)以上(いじょう)の人の保険(ほけん)」と書くのは、確かに面倒だし〝むしろバカにしているみたい〟という意見もあるだろう。

 

「転出・転入証明窓口」ならどうだろう。「ひっこす人、ひっこしてきた人のための書類(しょるい)」ではいけないのか。

 

「ここに署名捺印をお願いします」なら、「ここに名前を書いて、ハンコを押してください」でもかまわないだろう。それだけのことだと言えば、言い過ぎかもしれないが。

 

私はこれを「言葉のユニバーサルデザイン」だと考えている。

 

階段の初めと終わりに、黄色の凹凸を付けて、目の不自由な人の役に立つようにしてある。握力の弱い人でも使いやすいお箸やハサミなどが考案されている。

 

だったら、それを言葉にも適用したら良い、というだけのことだ。