千本100円商店街が復活してきたので | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日はお天気に恵まれて、「千本商店街朱雀大路の街」では賑やかに「100円商店街」のイベントが行われた。

 

 

 

そもそも千本通の商店街は、北は鞍馬口通の辺りから南は竹屋町通あたりまで、主として千本通りに面したお店から成っている。ただ、この間の距離はかなり長くて約2.5kmもある。

 

だからこの長い通りを、大雑把に言って鞍馬口通~今出川通、今出川通~上長者町通、上長者町通~竹屋町通の三つに区切って、別々に商店街組合を作っている。

 

京都市の地図をイメージできない方には申し訳ないけれど、「千本通」というのは、今では京都市の西寄りの大通りだが、平安時代の初期にはド真ん中の「朱雀大路」だった。

 

その当時の朱雀大路は、道幅が約85mだったというから、名古屋市の中央を貫く久屋大通や若宮大通といった100m道路にも匹敵する、ものすごい大通りだった。

 

しかも真ん中に緑地帯や公園があるわけでもなく、もちろん自動車やトラックが行き交うこともない。そんな道が85m幅で存在すれば、その存在感は凄かっただろうと思う。

 

ということはさて置き、平安時代も中ごろになれば、町の中心が東に寄って行って、その結果、朱雀大路そのものは自然と衰退し、その後、この千本通は普通の広めの通りになった。

 

 

 

そんなわけで京都市内は、今では、繁華街の河原町通やビジネス街の烏丸通が中心になり、町全体が昔と比べて大きく東寄りになってしまっている。

 

しかし昭和初期から昭和30年代にかけて、この千本通というのは、〝千本中立売〟交差点の周辺に映画館が数十館も並び立つという繁華な盛り場だった。

 

 

 

今はその名残りとして、1軒だけ映画館が残っている。という千本通りの、最も南側の「上長者町通~竹屋町通」の商店街組合が、「千本商店街朱雀大路の街」を名乗っている。

 

 

 

それで今日は、この商店街のイベントとして「100円商店街」が行われていた。コロナ禍の前までは、5月と10月に開催するなど、〝元気印〟の商店街として頑張っていた。

 

昨秋から、このイベントも何とか〝復活の狼煙〟を上げて、開催に踏み切っていた。その時も、建物が解体された空き地にキッチンカーを並べるなど、人集めの努力をしていた。

 

 

 

今日は、もうその空き地はビル建設が始まっているので、キッチンカーを出すスペースはなかったけれど、各商店の前の歩道にはキッズコーナーなどが設けられていた。

 

 

 

こうして600m余りの商店街の歩道上は、あたかも〝ちびっこ天国〟になったような賑わいを見せていた。

 

 

 

またそれぞれのお店でも、100円で提供できるものを店の前で販売したり、飲食店では割引を実施したり、お得なテイクアウトの屋台を出したりしていた。

 

 

 

さすがに、60年前の映画館が並び立っていた頃と違って、繁華街という雰囲気ではないけれど、それでも地元密着の商店街としては、とても元気な活動をしている。

 

 

 

さらに面白い活動として、この商店街の辺りの歴史を振り返った「看板」を設置して、ここを訪れた人に、町を知ってもらう努力を続けている。

 

 

 

この「千本商店街朱雀大路の街」という商店街自体が、平安時代の初期には、地域全体がすっぽりと「朝堂院」の中という、当時の政府や官庁街だった歴史を持っている。

 

いわば国会議事堂や霞が関の官庁街が、そっくりそのままこの商店街の辺りだった、という場所なのだ。通りから少し入れば、内裏の紫宸殿や清涼殿があった場所にもなる。

 

 

 

紫式部や清少納言の時代には、御所も東に寄った場所へと移動していたが、それでも源氏物語の世界などは、ここに御所があった時代や建物が、ほぼモデルになっているだろう。

 

そう考えると、なんだかとても楽しい町だと言うこともできる。商店街から一歩離れると、今もこの地域には、大きくはないが由緒のあるお寺などがたくさん残っている。

 

先週、私が参加した「北野商店街」の町歩きで、旧知の「千本商店街朱雀大路の街」の組合幹部の方と会ったので、「来週は、そちらのイベントに行きます」と言っておいた。

 

 

 

今日は、行くなりその方と出会ったので、忙しそうだったから〝ハイタッチ〟だけをしておいた。