統廃合で空いた小学校跡地を | がいちのぶろぐ

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今日の午前中は、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体の、顔を合わせてのミーティングがあった。

 

昨年度の書類で押印が必要なものへ、担当者や責任者が押印したり、この間の立替金の精算だったりといった、実際に顔を合わせて一斉に終わらせたい作業を行うためだった。

 

日ごろは効率を考えて、無理に集まるよりも気軽にオンラインで話し合う、という習慣ができてしまっている。

 

コロナ禍の前には、毎月最低一度は集まって必要な話し合いをしていた。それがコロナ禍で、むしろオンラインの手軽さが実によくわかってしまった。

 

オンラインのミーティングをフルに利用すれば、気軽に打ち合わせやディスカッションができるから、どうかするとリアルに集まる手間を省きがちになっている。

 

それでも、互いに顔を合わせて決済をしなければならないことも、当然出てくるわけで、たまには今日のように集まることになる。

 

私たちのような弱小組織では、自前の〝部屋〟を持つだけの財政基盤はないから、以前は区役所が入っている〝総合庁舎〟の、〝市民スペース〟を利用することが多かった。

 

 

 

それがコロナ禍以後は、会議〝室〟というほどではない、机と椅子が置かれただけの〝市民スペース〟が、こうした公共施設から一斉に消えてしまった。

 

だから今日も、かつては京都市の中心部にあった明倫小学校が統廃合され、その建物が「京都芸術センター」として利用されている公共施設に集まった。

 

 

 

ここでは、元は教室だった場所が、舞台芸術関係の練習・ワークショップが行えるスペースになっていたり、大きな部屋が集会室になっていたりする。

 

 

 

今日も、かつて校庭だった場所では、地元(?)の高齢の方々が集まって、何かの活動をしておられた。私たちは、カフェになっているスペースを使った。

 

 

 

ここだと、時間をあまり気にせずにミーティングをしても、大目に見てもらえるから。そんなことで、お昼過ぎまであれやこれやの話をしていた。

 

 

 

京都市内では、元は小学校だった場所が、その当時の趣のある建物を生かして、こうした市民が使える施設に生まれ変わっているケースも多い。

 

ただ私が卒業した小学校は、高級ホテルに生まれ変わったし、先日、大学のクラス会を行ったホテルも元々は小学校だったが、ここは市民スペースとホテルが両立していた。

 

 

(私が卒業した旧・清水小学校は高級ホテルに)

 

これからは、もっと少子化が進行することは間違いないから、余って来た小学校のスペースなどを、もっと積極的に市民向けスペースとして利用する方法を考えても良いと思う。

 

それでなくても、京都市は財政難から市民活動への助成金が減る傾向にあるから、せめてこうした公共スペースを、上手く活用してほしいと思う。