京の春、祭りの春 | がいちのぶろぐ

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今日は天気も良かったので、午後から、稲荷大社の「御旅所」と松尾大社の「御旅所」に出掛けて、勢揃いしている神輿を見物してきた。

 

(伏見稲荷大社御旅所)

 

 

(松尾大社御旅所)

 

(石碑の文字は富岡鉄斎の書)

 

この春、京都では相次いでお祭りが挙行されている。この3年間というもの、コロナ禍に閉じ込められていたから、そこで鬱積していたものが吐き出されているような状況だ。

 

 

(やすらい祭りの赤熊(しゃぐま)の踊り/今宮神社本殿前)

 

今月8日に今宮神社の摂社「疫社」の「やすらい祭り」が行われたが、23日の日曜には、氏子町として京都の〝下京一帯〟を二分する「稲荷祭」と「松尾祭」がスタートしている。

 

スタートというのは、23日に両神社から神輿が御旅所へ渡った。それぞれの神霊が神輿に乗ってお宮から御旅所まで行幸して、現在はそこに注輦(ちゅうれん)した状態だから。

 

 

(伏見稲荷大社御旅所)

 

(偶然に巫女の舞でお祓いを受けている方がいた)

 

 

 

お祭りとは、その神社の神様を〝おもてなし〟して喜んでもらい、それによって五穀豊穣を約束してもらったり、災厄を追い払ってもらったりする行事のことだから。

 

だから、神様を神輿に乗っけて担ぎ上げ、囃し立ててお旅所まで出向いてもらう。本来は、御旅所でも歌や踊りでおもてなしをするわけだけど、さすがに今はそこまではやらない。

 

それでも、こうして神様が御旅所に行在(あんざい)している間は、氏子の心のなかでは祭りの最中ということになる。そして日が経てば、今度は還幸祭として宮へお帰りいただく。

 

ということで、実は洛西の松尾大社と、東山連峰の南端の伏見稲荷大社は、どちらも広い氏子町があり、その境界があの有名な「東寺」の付近で接している。

 

何しろ松尾大社の神輿は、還幸祭のときに、すべての神輿がいったん「西寺跡」に集結してから松尾大社へ帰って行く。

 

 

(松尾大社の神輿)

 

 

平安京では、東寺と西寺という2つの官寺が、朱雀大路をはさんで向かい合う形で存在していた。その西寺は早くに廃寺になっているが、今もその「西寺跡」の公園に集結する。

 

 

 

一方、稲荷大社の神輿は、現在は還幸祭の折に、「東寺」の東門の前で拝礼してから稲荷大社に帰るが、かつては「東寺」の金堂の前に集結してから帰って行った。

 

 

(稲荷大社の神輿)

 

 

要するに、平安京の町全体の南半分を、朱雀大路で東西に分けて、松尾大社と稲荷大社という2大神社が氏子町とし、それぞれ西寺と東寺に依拠していた、ということになる。

 

 

(稲荷大社の氏子町が寄付した鳥居であるということに)

 

だから凄いお祭りであり、神社のパワーだと思う。さらに、平安京の町の真ん中部分は、祇園社の氏子町であり、この祇園社=八坂神社の祭りが夏の「祇園祭」ということになる。

 

また、先の今宮神社の摂社の「やすらい祭り」とは別に、5月5日からは今宮神社の本社のお祭り「今宮祭」が行われる。この今宮神社は、平安京の北側の西半分を氏子町としている。

 

 

(かつて見た今宮祭の神輿)

 

それに、上御霊神社も5月1日からお祭りが始まりお神輿が出るが、こちらは平安京の北側の東半分を氏子町としている。つまり、「今宮祭」と並ぶことになる。

 

 

(上御霊神社)

 

それこそ昔話をすれば、明治時代の半ばに平安神宮が作られて、そのお祭りとして「時代祭」が行われるまでは、京都の三大祭りと言えば「葵祭」「祇園祭」「御霊祭」だったそうだ。

 

ということで今年はその後に続いて、上賀茂神社・下鴨神社の「葵祭(賀茂祭)」が5月に半月あまり掛けて行われるから、春の大きな祭りがすべてが出揃うことになる。

 

 

(2019年の葵祭の斎王代/今年はこの「路頭の儀」が行われる)

 

やっとコロナ禍を脱して、4年振りに次から次へと春祭りが行われていく。なんだか、気分的にもホッとする。

 

きょうは、稲荷大社の「御旅所」と松尾大社の「御旅所」で、神輿が並んでいるのを見物したことを書き留めておきたかった。