書店に出掛けた結果 | がいちのぶろぐ

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今日の未明には強い雨が降っていたが、それも午前中には峠を越え、昼食が終わるころには完全に雨が上がっていた。

 

〝ならば〟ということで、昼食後に買い物というか、まずは京都市内中心部の大型書店に出掛け、いったん帰ってから、近所の大型店舗まで文具類を買いに行った。

 

書店では、いろいろと回ってみたのだけれど、メモしておいた新書などは、手に取って中味を確かめてみると、事前に想像していたのと違っていたため購入を止めた。

 

アマゾンで購入する場合は、やはりこういう具合にはいかない。手に取って、ざっと読んでみるから、思っていた内容とは違っていたことがわかる。

 

家電製品などでも、大型店へ行って実物を見たり、店員さんに話を聞いたりした結果、納得できなければ、その製品の購入を見合わせるだろう。

 

いや、むしろ他社製品だったり、違うものが気に入ったりして、そちらを購入することもあるだろう。実際に見れば、想像していたのとは違っている、というのが普通だと思う。

 

だから家電製品などでは、むしろ実店舗で商品とその値段を見ておいて、いったん帰ってパソコンで通販の価格を調べ、どちらから購入するかを決める、ということも多いだろう。

 

やはり、たとえパソコン上に動画で紹介されていても、家電製品などでは実際の商品を見たり、触れたりせずに購入するのは、ためらってしまうケースもあると思う。

 

まして、書籍などは書いてある内容が、事前に自分で想像したことと異なっていれば、購入してから困ってしまうことになる。だから、書店で手に取ってから購入を決めたい。

 

今日もそんなことで、目指す大型書店に在庫があることは、事前にパソコンで確認した上で出掛けて、中味をパラパラとめくってみた。だが、これはやはり購入を止めようと思った。

 

そんなことで、では何か面白そうな書籍はないかと、店内をけっこう長い時間うろついていた。そこで見つけたのが、いわゆる「京都本」コーナーに並べられていた文庫本だった。

 

確かに、内容的には「京都本」に違いないのだけれど、ほんの少しだけ視点がズレているというか、ちょっと斜め上にあるような本だった。

 

タイトルが「京の社 神と仏の千三百年」という、ちくま学芸文庫の本である。著者は、つい数年前に89歳で逝去された岡田精司氏である。

 

 

 

岡田氏の専攻は「古代祭祀研究」という硬いものだ。今回の文庫本も、淵源は2000年に単行本で刊行されていて、最近、それが文庫化されている。

 

だから、「京の社」というタイトルであっても、よくある〝京都の寺社を案内する〟といった趣きの本では決してない。

 

〝はじめに〟の中で岡田氏は、「神と仏の複雑に絡み合う中で発展した神社の様々なタイプは、変形しつつも京都の町には今も良く残されて」いる。

 

だから、「京都という『窓』を通して、日本人の信仰と社会のかかわり、そしてその変遷をたどってみたい」という趣旨で本書を書いた、と述べておられる。

 

こうした、ひと捻りが加えられた本こそ、読んでみたいという気になる。〝京都の謎〟も大事だし、〝大人の京都旅〟もきっと楽しいだろう。

 

だけど私の性分には、この本の中味が合っているように思う。これで、またしばらくは読書が楽しめそうだ。