今日は一日、雨模様で外出することもなく過ごしている。明日も、午前中は雨模様という予報になっている。
こんな時こそ「お勉強デイ」として、机に向かって、というよりもパソコンに向かって、過去に出題された「京都・観光文化検定」の問題を解きながら、復習を行っている。
いや気分的には〝復讐〟を試みている、という方が良いかも知れない。この2年間1級の受験に挑戦して、自分の知識量がどれほど足りていないか、痛感させられたから。
ということで、俗に〝京都本〟と言われることもある、数多く出版されている本を読み漁って来たけれど、それだけでは何かが決定的に不足しているのだ。
巷に溢れる〝京都本〟などに書かれる内容は、せいぜいが「お一人さまの京都」的内容で、行くべき場所・食べるべき食事や食事処・見るべき仏像などが示されているに過ぎない。
そんなレベルの知識では、京都のことなどほんの入口しか分かっていない。合格に必要な知識量は、そのレベルでは、掃いて捨ててもまだたくさん残るくらい存在している
その上、私にすればこうした類の京都本は、すでに見飽きたし、読み飽きてしまった。
京都検定1級の問題に、こうした京都本に掲載されているレベルから出題されるなら、それはまさにサービス問題だと思えば良い。それらは、知っているのが当然なのだ。
そこから深掘りをして行って、京都のあれこれを微に入り細にわたってほじくり返し、やっと出て来るようなレベルのことが、頭の中できちんと整理されている必要がある。
〝何とか寺は○○で有名〟というのが、いわゆる京都本の中味だとすれば、そこから始まり、そのお寺の故事来歴や本尊、文化財リストなど、すべてが頭に入っている必要がある。
それでこそ、1級レベルということになる。これってつまりは、〝穴場の観光ガイド〟が即座にできるレベルだと思う。ひと言で言うなら、「京都ヲタク」の養成である。
もう〝私は京ヲタです〟と、自分の顔に書いてあるくらいの知識量が求められている。だからこそ、毎日のように何らかの催事もあるから、それをこの目で見ておかないといけない。
(北区西賀茂・正伝寺のパンフレット)
有名な行事なら、パンフレットなどいっさい見なくても、即座に解説できるくらいになっていなくては、と思う。とは言え、それは「言うは易く行うは難し」である。
ましてや、年齢的にも覚えることが徐々に難しくなってくる歳だ。だからひたすら本を読み、現地・現物を見物に出掛け、過去問を解いて覚え込む。こうした努力をするしかない。
ハァ~ッとため息が出て来てしまう。明日もまた、雨模様なら本と格闘する日になるだろう。