目的なしの散歩でも | がいちのぶろぐ

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今日は、全国的に気温が高くなったようだ。京都も28℃ほどになったらしい。もう一歩で「真夏日」。と言っても今はまだ4月、さすがに〝ご勘弁を〟と言いたくなる。

 

ゴールデンウィークになれば、30℃という声を聞く日もあり得る。明日からはまた少し気温が下がる予報だから、まあ今日だけの異変だと思っておこう。

 

今日は好天という予報だったので、少し気分転換に、広々とした眺めの北嵯峨・広沢池の近くまで出掛けてみた。やはり観光客もいなかったし、景色や花もたっぷり鑑賞できた。

 

 

 

北嵯峨・広沢池の畔にある遍照山の麓には、かつて寛朝僧正が989年に創建した大寺「遍照寺」があった。それが徐々に衰退し、荒廃して行ったという。

 

 

 

それで広沢池から少し南に離れた場所に本尊などを移して、名跡をつないだということだった。そこで広沢池とともに、その移転した後の「遍照寺」を訪ねてみた。

 

 

 

広沢池はいつ来ても広々とした水面が、山に囲まれるように広がって、のんびりとした気分になれる良いスポットだと思う。

 

 

 

これまでも「中秋の名月」の観月に絶好の場所として、数多くの有名な歌人によって歌に詠まれてきたけれど、そんなこととは関係なく、ボーっと見ているだけでホッとする場所だ。

 

 

 

池の端から、南へ数分の場所に「遍照寺」があった。確かに規模もさして大きくはなく、本堂と横にちょっとした集会所風の建物、それとは別のお堂と護摩供の場所があるくらい。

 

 

 

 

そう言えば今月29日には、「春季大祭」として「柴燈大護摩供」を催すという立て看板も出ていた。このあたりが、空海が開いた真言宗のお寺らしいところ、といえるだろう。

 

 

 

それよりも、「護摩供」を行うらしい広場の端には、ちょうど藤の花が咲き誇っていた。これがとても見応えがあって見事だった。

 

 

 

 

こちらは特に〝藤の名所〟などという情報も無く、偶然に出くわしたのだけれど、とてもラッキーというか、来て得をしたという感じだった。

 

 

 

その横にはツツジがあったり、ヤマブキが咲いていたりと、目を楽しませてもらった。この季節は、偶然でもこういう良いことと出会える。

 

 

 

 

帰りは「広沢池」バス停で、1時間に1本ほどしかないバスが偶然来たので、うまく乗ることができたが、そのバス停の前にある、佛教大学の関連施設の入口近くには、まだ八重桜が咲いていた。

 

 

 

 

 

そして池のそばの道路脇には、おそらくアヤメ科の中で早咲きの〝イチハツ〟だと思うが、可愛い紫色の花を咲かせていた。これまたラッキーという感じだった。

 

 

 

特に目的も無く、ただ気持ちよさそうに思えたから、行ってみる気になった広沢池だったが、ホントに人がいるわけでなく、八重桜から藤まで様々な花を見ることができた。

 

これだから、目的無しの散歩も楽しいということになる。