松尾大社の重森三玲氏作の庭を見に | がいちのぶろぐ

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昨日も書いたように、このところ外出続きでやや疲れ気味だったが、昨日は雨ということもあって家に引き籠もっていた。そのお陰で、今日は身体が随分と楽になった。

 

そこで今日の午後は、京都市の西のはずれにある松尾大社まで出掛けていた。ただ我が家から市バスでも行けるが、それでは歩く時間も入れると1時間以上掛かってしまう。

 

 

 

ということで四条河原町までバスで行き、そこからは阪急の「桂」駅で乗り換え、「松尾大社前」駅まで行った。これだと、我が家からでも楽に1時間以内で着ける。

 

 

 

松尾大社は昔から、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と言われてきたように、平安京の王城鎮護として、上・下の賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)と並ぶ『格式』の神様だった。

 

 

 

そんな古来より格式の高い神社が、今はかわいらしく「山吹祭り」と称して、境内に数多くある八重咲の山吹が見頃を迎えている、とアピールをしていた。

 

 

 

松尾大社は我が家から少しばかり遠いこともあって、今まではゆっくりとお庭の拝観などもしたことがなかったから、今日は思い切って出掛けてみた。

 

 

 

以前に来たときは、日本酒の酒造りの神様で知られる松尾大社の、「酒祭り」的なイベントのときだった。そのように、この神社が「お酒の神様」として有名なことも承知している。

 

 

(以前に来た時に見つけたポスター)

 

ただし今日は、その松尾大社の宝物殿の周囲などに、昭和の名作庭家・重森三玲氏が最晩年の昭和50年に作ったという、お庭を見て廻るのが最大の目的だった。

 

 

 

神門を潜ったあたりで、早くもかわいい山吹が〝山吹色〟の花を咲かせて出向かえてくれた。それと本殿の横で、とりあえず小さな虎の土人形にはいったお神籤を求めた。

 

 

 

これは「吉」だった。良いのか、それほどでもないのか、やや中途半端な結果だった。病気は「心長く保養せよ」と書かれていて、それなら〝まっ、いいか〟ということに。

 

いずれにしても、私の病気は〝食道がん〟であり、今は特に生活に困るような症状は出ていないので、まさしくこれからも「心長く保養」して行くしかないだろう。

 

 

 

さて、社務所で拝観料500円也を払って、後は順路に沿って行けば、宝物殿も庭もすべてが見られる、ということだった。そこで、まず宝物殿の前庭になる「曲水の庭」へ。

 

 

 

 

ここは平安の雅な「曲水の宴」を思わせる、曲がりくねった水路と州浜が設けられていた。その次に、宝物殿の「男神像」「女神像」を見た後、枯山水の「即興の庭」を見る。

 

 

 

その先では、「上古の庭」と名付けられた、〝石庭〟というよりも山頂近くにある磐座をイメージした〝立石群〟を見る。これは、神の依代としての磐座を再現したもののようだ。

 

 

 

 

その後は順路に沿って「霊亀の滝」や、酒造に際してこの神水を注ぐと良い酒がうまれるという「亀の井」を見る。だから酒造業の方が、この水を戴きに来られるそうだ。

 

 

 

 

 

最後に、少し離れた場所になる「蓬莱の庭」へ回る。ここは、重森三玲氏が最後に構想し、一部を子息の重森完途氏が、〝遺志を継いで完成〟させた庭ということだった。

 

 

 

 

〝古典の石組と現代の手法を巧みに取り入れ〟て、龍門瀑と神仙島で構成された庭になっている。これが、〝最初で最後の親子合作の庭〟ということだった。

 

 

 

 

このように、一度は見ておきたいと思っていた重森三玲氏の絶作となった松尾大社の庭を、やっと見ることができた。なお〝 〟内の解説は、重森千青氏のリーフレットを拝借した。

 

 

 

この松尾大社のお祭り「松尾祭」は、七基もの神輿が桂川を船で渡って、東寺の西側の「西寺跡」のあたりまで広がっている氏子町に出掛ける。これも見ものかもしれない。

 

 

 

 

こちらも見てみたいと思うが、今日はその神輿を載せて川を渡る「駕輿丁船」が、境内の片隅に置かれているのにも気付いた。