親鸞展~生誕850年に寄せて | がいちのぶろぐ

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今日は午前中に、京都国立博物館で開催中の「親鸞」展に行ってきた。今年は親鸞生誕850年と、浄土真宗の立教開宗800年に当たるとされている。

 

 

 

とにかく宗教とは縁遠いというか、今までの長い人生を宗教や仏教と無縁に過ごしてきた私にとって、こうした展覧会に行くこと自体が珍しい話だと自分でも思う。

 

桜見物も峠を越えた、平日の午前中だったのだが、京都国立博物館は相当の人出になっていた。正直に言って、こんなに観客が来るのか、というのが偽らざる感想。

 

敷地内の庭ではキリシマツツジだと思うが、鮮やかな赤色に花開いていた。蕾も多く見受けられたから、これからウワッと咲き誇って行くことだろう。

 

 

 

展示は、博物館の「平成知新館」の全面を使って行われており、第1章の「親鸞を導くものー七人の高僧―」から、全7章に分けて組み立てられていた。

 

第2章は「親鸞の生涯」、第3章は「親鸞と門弟」、以下「親鸞と聖徳太子」、「親鸞のことば」、「浄土真宗の名宝ー障壁画・古筆―」、「親鸞の伝えるものー名号―」となっていた。

 

 

 

展示は3月25日から5月21日までを、前期・後期に分けて展示品の入れ替えなどもあるが、今日もとりあえず100点以上もの展示品を見て回った。

 

解説を読みながら、展示品の数々をざっと見て回るだけだったけれど、それでもたっぷり2時間近くはかかってしまった。午前中には帰る腹積もりだったが、とても無理だった。

 

中味はと言えば、私にはホントに〝猫に小判〟と言うか、〝豚に真珠〟と言えばよいのか、値打ちがわからない人間には〝もったいないにも程がある〟という状態だった。

 

国宝や重要文化財も数多く出品されていたし、もちろん解説も丁寧だし、何よりも第1章から第7章までの構成も、素人から見てもわかりやすいものだった。

 

親鸞が帰依した法然上人源空や、インドの龍樹、中国の曇鸞といった祖師たちなどから始まって、親鸞が六角堂頂法寺に参籠した時に、夢に現れた聖徳太子との関係も見て取れた。

 

また、妻の恵信尼の書状や最期を看取った末娘の覚信尼の書面、法灯を受け継いだ曾孫の覚如による「親鸞伝絵」なども、これがそうか〟という感想は持ったけれど。

 

 

やはり私にとっては、〝もったいない〟としか言いようがなかった。それでも、京都の東・西本願寺だけでなく、三重の高田専修寺など多くの本山からも、宝物が出展されていた。

 

とにかく、お腹がいっぱいになるほどのボリュームと内容の展覧会だった。しばらく頭を冷やさないと、内容の整理が追い付かないだろう。

 

秋には、やはりこの京都国立博物館で「東福寺展」も行われるそうだ。これも見ておかないといけないと思う。いやもう、頭の中はパニック寸前なんだけど。