先輩を偲んでいる日 | がいちのぶろぐ

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今日で2月が終わる。何と言えばよいのか、ありきたりだけれど〝早いなぁ〟という以外には、言葉を思い付かない。

 

さて、昨日のブログに書いていたように、今日は先輩のお葬式に出席していた。私が大学を出て最初に勤めた会社で、ホントにお世話になった少し年上の先輩だった。

 

その上、新入社員の当時に私の上司として、厳しくかつ優しく指導していただいた方も、体調が許せば出席する、と連絡メールに書いておられた。この方にも、是非お会いしたかった。

 

このところコロナ禍の影響もあって、「家族葬」と称する、家族かせいぜい近しい親族だけが集まって営まれる、「小さなお葬式」が増えている。

 

最近はテレビCMでもこの言葉をしょっちゅう目にするし、今日訪れた葬儀会社の式場にも、「家族葬承ります」と書かれたポスターがあり、パンフレットも置かれていた。

 

そのことを思えば、今日の先輩のお葬式は、ご遺族・ご親族と列席者を合わせると100名近くになり、すでにリタイアされた方のお葬式としては珍しいパターンだったと思う。

 

それともう一点、今日のお葬式でびっくりしたことがあった。それは滅多にないことに、神式でお葬式が挙行されたことだった。これも珍しい体験になった。

 

2名の神職の方が式を取り仕切られて、私も「お焼香」ではなく「玉串奉奠」を行った。もちろん今まで神式の葬式に出席したこともあるし、キリスト教の礼拝式の葬式もあった。

 

しかし、本当に久し振りの神式のお葬式への列席だった。式場に入った途端に、明らかに仏式とは異なる設えの祭壇が作られており、しかも祭壇の横には真榊なども配されていた。

 

これはこれで、なかなか見られない光景と言うべきだった。「玉串奉奠」では榊を受け取り、式台に供えて二礼二拍手一礼をして下がる。拍手も、音を立てない「しのび手」にする。

 

ちょっとした見ものと言っては失礼だが、なかなか見られないものを見せていただいた。それに、上に書いた昔の上司の方も来られていて、私はそのお隣に座って話すことができた。

 

その方もすでに90歳近くになっておられるし、〝体調が許せば〟と仰っていたくらいだから、決して健康体ではない。それでも顔色も良く、少しほっとした気分だった。

 

祭壇に飾られていた先輩の遺影は昔の写真が使われていて、けっこう若々しい顔だったので、これはさすがに「おい、おい」と、ちょっとだけ突っ込みたくなった。

 

最近は病に臥せっておられたそうだから、さすがに最近の写真というわけにはいかなかっただろうけど。それにしても、また一人、可愛がってくださった方が逝ってしまわれた。

 

いやいや、昨日も書いたように「次はあんただよ」という声が、どこからともなく聞こえて来そうで、せめてもう少しくらい私の目標を達成させて、と願いたくなっている。

 

さて、今夜は在りし日の先輩を偲んで、思い出にふけってみようと思う。それにしても79歳だったというのは、〝微妙だけど、まだ若いなぁ〟と思う。

 

昨年は、こちらの方も、私を可愛がってくださった大学時代の先生、そして中学から大学までの友人が旅立って行った。これからは、少しずつ、お別れする人が増えて行くだろう。