雪模様で引き籠もり読書の日になった | がいちのぶろぐ

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今日は未明から雪模様に。起床時には、我が家の小庭もまたしっかり雪化粧をしていた。今月4日に「立春」となり、この前の日曜の19日は「雨水」だったというのに。

 

 

 

今はちょうど、天候が春と冬を行き来している。ある日は春の陽気になったと思えば、その翌日にはいきなり寒波が襲い掛かって来る。そういう時期ということだろう。

 

午前中に陽射しが出て来たと思ったら、午後にはまた雪模様になり、一日の中でも天気が目まぐるしく変わっている。こういう日には、外出しようという気にならない。

 

結局は、なんだかんだとグズグズしているうちに、今日もまた引き籠もりの日になってしまった。と言って、こんな天気を押しても、出掛けなければならない行き先もない。

 

これが、リタイアした後の生活の良いところだと思っておこう。おかげで今日も、しっかりと読書に勤しむ日となった。

 

少し前に、「空海」と「密教」に関する本を立て続けに読んでいたけれど、今度は「親鸞」と「浄土真宗」に関する本を読み漁っている。

 

 

 

私には特別な信心の心などないけれど、今年は偶然に、空海が東寺に「真言宗」を立てて1200年、親鸞が生誕して850年という、節目の年に当たっている。

 

親鸞の宗派について言えば、現在は幾つかに分かれて、「浄土真宗本願寺派」または「真宗○○派」と名乗っているが、親鸞が浄土真宗という教団を発足させたのではない。

 

 

(西本願寺御影堂)

 

この辺りの歴史が、私には全く分かっていなかった。しかしこの間、何冊かの書物を読んだお陰で、〝親鸞と本願寺〟の流れが、ザックリとではあるが分かりかけてきた。

 

それにしても「仏教」という宗教は、自分も一応の分類上は仏教徒に分類されると思うけれど、実に解り難い宗教だと思う。

 

そもそも〝仏さんて何?〟というところから、〝ド素人〟の私には理解不能である。キリスト教やユダヤ教、イスラム教など、一神教はある意味で解り易いのかもしれない。

 

もちろん、これらについても私は全くの門外漢だから、正確なことは何一つ言えないけれど、何となくアウトラインは見えるような気がする(気がするだけだが)。

 

また儒教や道教などは、これを宗教と言っていいものかどうか、私には判断がつかない。その他の宗教のことは、それぞれの宗教の名前すらもろくに知らない。

 

というような『宗教音痴』な私だけれど、この間、何冊かの仏教関係の本を通読した結果、うっすらとわかって来たのは、〝仏教というのは、結局なんだかわからん〟ということだ。

 

空海の「密教」では〝センター・ポジション〟に『大日如来』という太陽神のような仏を据えている。親鸞の「浄土教」では『阿弥陀如来』がその位置にあるみたいだ。

 

 

 

仏教では悟りを開いた人を〝仏=如来〟とし、仏を目指して修業中の身を〝菩薩〟と分類しているらしいが、お寺によってはご本尊が〝不動明王〟だったりすることもある。

 

では「明王って何?」という話になってしまう。大阪・ミナミの法善寺には、有名な『水掛不動』さんがおわしますけれど、如来や菩薩と比較して〝ランク〟的にどうなのだろう。

 

つまるところ仏教とは〝多神教〟であり、教義によって信仰の対象となる相手が様々に変わる。さらに言えば、目指すところは〝現世利益〟か〝往生極楽〟なのか、という話になる。

 

つまりは、結局のところ〝よく分からん〟という一言に尽きる。キリスト教だって、大別してもローマ正教、ギリシア正教といったカトリック系と、プロテスタント系がある。

 

イスラム教だって、教義はよく知らないけれど、ともかくの現実問題として、シーア派・スンニ派という二大宗派があることは、何となく知っている。

 

その点で「三大宗教」というけれど、実際に仏教の信者はそれほど多いのだろうか。日本・韓国・台湾・タイ・ミャンマーなどが、主な仏教国だと言われているけれど。

 

あとはヒンドゥー教が、インドを中心に人数的にはむしろ多いくらいだろう。仏教にだって、ヒンドゥー教の神さんが多数、応援参加・友情参加されているし。

 

結局のところ、私には宗教というものがわからないし、そのお陰もあってか、私の周りで宗教二世問題などは起こり難いだろう、と勝手に思っている。

 

しかし、仏教関係の本を読めば読むほど、仏教とは何を目指す、どんな宗教なのかが、さっぱりわからなくなってくる。〝まっ、それでも良いか〟という心境にはなってきたが。