広報記事がウェブサイトに載った | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

この年度末に向かって、様々な団体などの広報紙・誌やウェブサイトなどで、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が、紹介してもらえるようになってきた。

 

このことは先日もブログに書いたけれど、それがいよいよ形になって実り始めて来た。今日も京都市上京区役所が、市民活動グループを紹介しているウェブサイトに掲載された。

 

 

 

この紹介記事も、同志社大学政策学部の学生さんたちが取材を担当してくれて、彼ら/彼女らが作成した原稿に、私たちなりの想いを込めて少し手入れをさせてもらった。

 

記事のタイトルは、「言葉もユニバーサルデザイン化する時代」となっていた。これもインタビューの際に私たちが言った言葉から、学生さんたちが拾い上げてくれたものだ。

 

「ユニバーサルデザイン」という言葉は、もう説明が要らないほど知れ渡ったと思う。誰もが戸惑うことも無く、容易に生活できる状態を生むための考え方、と言えば良いだろうか。

 

身体やその他に障害があっても、なるべくそれをハンディと思わずに暮らせる状態を、デザインを通して実現して行こう、というところからスタートした。

 

誰もが持ちやすい形状で、赤ちゃん用などに多く使われているスプーン、視覚障害があっても安心して歩ける点字ブロックなどは、すでに至る所で目にする機会も増えている。

 

その一方で、日本で暮らす人の中には「言葉の壁」に苦労する人もいる。例えば、最近外国から日本に来て生活を始めた人など、日本語に不慣れな人などがその典型的な例だ。

 

日本語は世界の言語の中でも、習得が極めて難しい言語の一つだ。表記においても「ひらがな・カタカナ・漢字」を混合して用いている。常用漢字だけでも2,000文字以上ある。

 

しかも漢字は、その文字を読む場合に何通りもの読み方がある。例えば「行」は「ぎょう・こう・い(く)・おこな(う)」といったように、その場で読み方の判断が必要になる。

 

中でも「行燈」などは「あんどん」と読む。これは「行=あん」であり、「燈=どん」である。この「行=あん」の場合は、「行脚=あんぎゃ」と読む言葉もある。

 

だが「燈=どん」というのは、「とうか=燈火」や「燈籠=とうろう」など、「とう」とは読んでも、他の言葉に使用されるケースで「どん」と読むことはまず考えられない。

 

だから、きわめて習得困難な言語だと言ってもいい。そもそも漢字は中国で生まれて、日本には時代を経るたびに、その時点での中国語の「音(おと)」として入ってきた。

 

だから、入ってきた時代の中国での発音が、そのまま残っているケースがあるわけだ。いやもっと言えば、姓の「服部=はっとり」さんなどは、なぜ「はっとり」なのか「???」。

 

こうしたことをほんの少し考えただけでも、日本語を勉強することの困難さはすぐにわかってもらえると思う。もちろん会話の場合は、音声であって文字は使用しないけれど。

 

それでも、日本語を自分の第一言語としない人と、どのように会話をすればよいのかという話になると、とたんに「それは英会話でしょう」ということになってしまう。

 

そう思った貴方。貴方は不自由なく英会話が行えますか。そもそも、英語圏と言われる地域や、英会話に不自由を感じない人は、世界の人口の何分の1くらいいるのだろう。

 

世界人口80億人のなかで、きっと5分の1の16億人くらいではないだろうか。残る8割の人は、私と、そして失礼だけど(たぶん)貴方と、あまり変わらないと思ったらいい。

 

だからこそ、新たに日本に来て定住を始めた人にとっては、これから徐々に日本語も覚えていくけれど、それでも「やさしい日本語」であれば、なお一層理解しやすいということだ。

 

つまり、新たに定住する非英語・非日本語圏の人が増えている状況で、「やさしい日本語」は言語における「ユニバーサルデザイン」化だと考えればいいのではないか。

 

こうした考え方が、タイトルになっている「言葉もユニバーサルデザイン化する時代」というところに込められている。よくこの言葉を拾い出してくれた、と感謝しているが。

 

ウェブサイトに掲載したという知らせが、ウェブサイトの担当の方から届き、記事をあらためて読み返して、インタビューしてくれた学生さんたちの柔軟な思考能力に頭が下がる。

 

きっと、初めて聞くような話ばかりだったと思う。それをきちんと理解しようとしてくれて、さらに私たちが活動している〝想い〟まで汲んでくれていた。

 

これからも、老体だけど微力ながらお役に立てるよう、ご来迎までの時間を有意義に過ごさねばと、改めて爺は感じ入っている次第だ。