「モルガンお雪」をご存じですか | がいちのぶろぐ

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さて、引き籠もってばかりもいられないからと、今日の午前中には重い腰を上げて、我が家からだとけっこう行き難いところへ出掛けていた。

 

行き先は「折上稲荷神社」。所在地は京都市山科区西野山というのだが、私自身、山科区に関しては〝土地勘〟がなくて、事前にバスの時刻などを下調べをして出掛けた。

 

それで、地下鉄東西線の「山科」駅が、言わば山科への玄関口のような場所で、ここにあるバス停留所から、目指す「折上稲荷神社」を通るバスがあるということだった。

 

これが30分に1本だけということだったので、そのバスの発車時刻に合わせて地下鉄「山科」駅に着くように、地下鉄の時刻表を確かめて、そこから逆算して家を出た。

 

こうして、目的のバスには乗れたのだが、バスが通って行く道を窓から見ていると、何となく過去に通ったことがある雰囲気のところまでやって来た。

 

と思ったら、バスの中の停留所表示に「次は大石神社前」と出ている。これで納得した。数年前になるけれど、この「大石神社」を目指してきたことがあった。

 

その時も地理不案内で、結局は地下鉄の「椥辻」駅で下車してから、大石神社までかなりの道のりを歩いた。その時にバス停を見つけて、帰り道に乗ったことがあった。

 

「折上稲荷神社」の最寄りのバス停は、その「大石神社前」バス停の次の停留所だった。以前来た時に思ったのだが、「大石神社前」バス停と大石神社までは随分と距離があった。

 

 

(大石神社の鳥居/すぐ後ろに山が迫っている)

 

大石神社は、京都の町と山科区を隔てる東山連山の中腹に当たる場所にある。その点、今日出掛けた「折上稲荷神社」は、バス停の真ん前が福田金属箔粉工業の本社工場だった。

 

この会社は、創業が江戸時代の1700年で、金・銀の箔と粉を扱う店だったが、今ではハイテク産業に欠かせない、金属の微細な粉末などを製造する世界でも有数の企業である。

 

そんな企業のすぐ裏側に、「折上稲荷神社」はあった。あっさりと見つけた。バス停からも、それこそすぐのところだった。以前に行った大石神社とは大違いだった。

 

 

 

それよりも、大石神社へ出掛けた時に、このお稲荷さんのことを知っていれば、途中でちょっと立ち寄ってお参りをしただろう、というくらいの場所だった。

 

 

 

道に面して、割と新しい石の鳥居が立っていた。裏側には、福田金属箔粉工業・奉納となっていた。ご近所付き合いですねぇ。

 

 

 

鳥居の真っ直ぐ奥に本殿がある。そして本殿の左手には、真新しい小さな社殿の「三九郎稲荷」があった。こちらは「三苦労」を除いてくれる、といいうご利益があるそうだ。

 

 

 

そして、本殿と少し離れて「中臣群集墳跡」という石碑とともに、5mあまりの高さの塚がある。鳥居の横の看板には「稲荷塚ご利益めぐり」と書かれている。

 

 

 

 

古墳と思しき小さな塚の周りに、大小取り混ぜて数多くの石碑が立てられている。この一つずつがそれぞれに何とか大明神ということで、ご利益があるということらしい。

 

中には、やや大きめの岩がご神体の「宝大神」という、宝くじに当たるというご利益の神様もある。〝何じゃこれは、ほんまかいな〟と笑いたくなってきた。

 

 

 

この塚にある鳥居の横には、「モルガンお雪 奉納鳥居」と書かれた看板が立っている。そして石段を上がった先の「ひょうたん大神」は、「女性の出世・良縁」のご利益があるとも。

 

 

 

そうなんです。この「折上稲荷神社」は、あの「モルガンお雪」さんが信心をしていた神社。あの「モルガンお雪」さんと言っても、もうほとんどの方が知らないと思うけれど。

 

 

 

 

明治の終わりごろ、祇園の花街に出ていた芸者「雪香」姐さん。この人が、姉の経営するお茶屋兼置屋「加藤楼」に所属していた。

 

そしてお座敷で雪香姐さんを見染めたのが、アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥のG.D.モルガン。今もなお、モルガン・スタンレー証券などに一族の名前を留めている。

 

そのモルガン財閥の一員に求婚された。これ自体が、一大センセーションを巻き起こす出来事。モルガン氏は加藤楼に大金を渡して、雪香姐さん改めお雪さんを引き取ることに。

 

 

 

こうして二人は横浜で結婚し、〝アメリカに渡って幸せに暮らしました〟では、ドラマにならない。それでも10年ほど一緒に暮らしていたが、モルガン氏があっけなく心臓麻痺に。

 

34歳で夫と死別したお雪さん。モルガン一族は、この日本人女性には遺産を渡したくないと言う。それでお雪さんは、止むを得ず訴訟を起こして勝訴する。

 

こうして手に入れた莫大な遺産を持って、お雪さんはアメリカを離れフランスに渡る。アメリカにいると、何かと〝やばかった〟のだと思う。それに彼女自身もまだ若い。

 

ということで、お雪さんはフランスで新しい恋を得る。こうしてできた新しい恋人と、15年ほど暮らしたけれど、この男性も心臓麻痺で死んでしまう。何たることかと思うが。

 

その後、第二次世界大戦でヨーロッパが風雲急を告げたため、お雪さんはフランスから日本に帰って来る。そうして官憲に睨まれながらも、京都・大徳寺の近くでひっそりと暮らす。

 

1963(昭和38)年にお雪さんは、波乱に満ちた生涯を終える。こんな人生だから、ドラマにならないわけがない。さらに、「折上稲荷神社」もご利益をうたうことになる。

 

 

 

なんと言っても、これは〝玉の輿〟ストーリーには違いないのだから。彼女の人生は、1951年に越路吹雪さん主演のミュージカル、1977年には小川真由美さん主演の舞台に。

 

と言う話なんだけど、私には今さら良縁も関係なければ、ましてや玉の輿なんて。ということで、一通りお参りを済ませてから、帰りは地下鉄「椥辻」駅まで歩いて、帰って来た。

 

という外出だったし、まずは暖かな日で良い散歩にはなった。