〝行きたいとこだらけ〟だから、さてどこに | がいちのぶろぐ

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今日は出掛けようとすると、いきなり雨が降り出して、それなら、そこまでして出掛けなくても、と思うと、サーっと陽光が射しはじめたりと、分かり難い天気になった。

 

この間、「京の冬の旅」のスタンプラリーで、必要な3カ所のスタンプを集めることができたから、その景品となっている「茶の湯」の接待を受けに行こうと思っている。

 

 

 

和菓子の老舗・俵屋吉富が運営する「京菓子資料館」が、同志社大学のキャンパスのほんねき(すぐ近く)〟に設けられている。ここが、その接待個所の一つに指定されている。

 

 

 

スタンプがたまれば、「茶の湯」の接待付きで、京都の和菓子の歴史や現状などを知ることができるので、一石二鳥だからここに行こうと決めていた。

 

 

(俵屋吉富とその右手の京菓子資料館)

 

またそれとは別に、京都市が運営している「京都市学校歴史博物館」という施設がある。ここは統廃合で閉校になった、市内のど真ん中の小学校の跡地利用として設けられている。

 

 

(学校歴史博物館になっている旧・開智小学校の立派な石塀)

 

そこで現在、「郡中小学校」という企画展が催されている。この企画展は、京都市の周辺部の小学校の歴史をたどる写真展となっている。

 

京都市では明治2年に、全国に先駆けて市民の寄付金を基に小学校が設立され、64校にも及ぶ「番組小学校」と呼ばれる小学校が開校された。

 

それらは設立当初、上京何番組とか下京何番組小学校という名称だったので、まとめて「番組小学校」と呼称されたが、その後は学校ごとに由緒ある名称が付けられた。

 

実はこの「番組小学校」は、いわゆる「洛中」の町単位に設置された。だが明治初期とは言え、すでに「洛中」から東西南北に広がる「洛外」にも、町が形成され住民が住んでいた。

 

だから、「番組小学校」から遅れること数年にして、この「洛外」の地域にも、小学校が設立されていった。それらは「郡中小学校」と総称されていた。

 

愛宕郡や葛野郡などというように、当時はまだ京都市外の郡部だった地域の学校だったため、一括して「郡中小学校」と呼ばれたものらしい。

 

 

 

こんな経緯があって設立され、すでに150年余りを経過しているにもかかわらず、この「郡中小学校」がどのような状況だったかという研究は、なお遅れているらしい。

 

そこで「京都市学校歴史博物館」としては、現在では京都市内になる、この「郡中小学校」に焦点を当てて、初めてまとまった企画展を行うことにしたらしい。

 

だから、俵屋吉富の「京菓子資料館」もだが、この「学校歴史博物館」にもぜひ行ってみようと思う。かつては「開智小学校」という名称だった場所で、立派な石塀に囲まれている。

 

しかも京都一の繁華街・四条河原町から、徒歩でほんの10分足らずという場所にある。京都観光といえば、寺社仏閣巡りが中心だと思うけれど、こんな場所も面白いと思う。

 

もちろん、京都国立博物館や京都市京セラ美術館など、大きな施設もたくさんあるし、泉屋博古館や野村美術館、細見美術館といった民営の素敵な施設も多い。

 

 

 

そんな中でも、「京菓子資料館」だったり、「学校歴史博物館」だったり、小さいながらテーマ別に特化したユニークな施設もあって、これはこれで一見の価値があると思う。

 

今日は出そびれてしまったけれど、明日はなんとしても、どこか楽しそうな施設を目指して出掛けようと思う。

 

そう言えば、陶芸家で民芸運動でも知られる河井寛次郎記念館や、明治期の帝室技芸員だった有線七宝の並河靖之記念館などもある。まさに、〝行きたいとこだらけ〟という状態だ。