「京の冬の旅」で大徳寺芳春院へ | がいちのぶろぐ

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今日からは、早や2月。今日は〝寒さが少し緩む〟という天気予報を信じて、午前中に「京の冬の旅」で特別公開中の、大徳寺の塔頭「芳春院」に出掛けていた。

 

 

 

このお寺は、加賀百万石・前田家の菩提寺というか、前田利家公の夫人・松さんが落飾されて「芳春院」となり、大徳寺第147代住持の玉室宗珀を開祖として建立された。

 

 

 

駒札には「本堂背後には、飽雲池を前にした二重の楼閣呑湖閣があり、金閣、銀閣と同様、楼閣山水庭園として名高い」と解説が書かれている。

 

 

(呑湖閣と打月橋/今日の芳春院のチケット写真より)

 

この本堂の背後の「楼閣山水庭園」は、池に流れ込む滝石組みも実に見事で、小堀遠州の作庭とされている、と案内員の方から説明があった。でも、撮影禁止だったのが残念。

 

 

 

また本堂の前の〝枯山水〟の庭は、昭和の名作庭家の中根金作氏の設計によるもの、ということを、こちらも案内員の方から説明を受けた。どちらも、大変見事なお庭だった。

 

また、「呑湖閣」に渡るために「飽雲池」に架けられた橋は、「打月橋」と名付けられていて、この橋上から「飽雲池」に映る月を眺めるのだそうだ。

 

さらに、「飽雲池」に面した書斎の建物は、第二次大戦直前まで総理大臣を務めた近衛文麿公が、京都帝国大学の学生時代に下宿先としていた建物だ、とこれも解説を受けた。

 

 

(芳春院の前庭にあった兎の像)

 

こんな「芳春院」だったが、本堂の周りをぐるりと一周すれば見終わるので、「芳春院」を後にして、雪の残る「真珠庵」の参道を見たり、山門「金毛閣」を見ながら帰宅した。

 

 

(雪の残る真珠庵の山門)

 

(大徳寺三門「金毛閣」)

 

「芳春院」を訪れたのは、高校生ぐらいのときに一度来た記憶があるが、とりあえず碌に記憶にも残っていなかったので、〝ほぉ~〟という感じで見物をしていた。

 

ちょうど、この間立て続けに購入した、松長有慶氏の岩波新書「空海」「密教」の2冊を読み終えたところだったので、禅寺と真言密教の違いなどを少し考えてしまった。

 

 

 

密教は、大日如来を中心として多種多様な仏などを配する「曼陀羅」に、その思想が込められているということらしいが、一方で禅はあっさり・きっぱりとミニマルになっている。

 

 

(東寺/講堂の立体曼荼羅の仏像群)

 

仏教という大枠はあるにしても、その宗派による世界観の違いは、凡人である私にはさっぱりわからない。これは、哲学を頭の先っぽだけで理解しようとしているせいかも知れない。

 

特に密教などは、理解するものではなく体得するものだろうし、禅は道元禅師がされたように、「只管打坐」で座禅をして、瞑想に打ち込まないと本質はわからないのだろう。

 

宗教は、本を読んだからわかるというものでは、決してないのだろうとは思う。だけど、先日行った東寺の講堂にある密教の仏像群と、今日の本堂の前の枯山水の庭の相違の大きさ。

 

まだまだ私には、何が何だかという状態が続くのだろう。そういえば、一昨日には「京都・観光文化検定」の1級の試験結果が届いていた。

 

不合格なのはすでにわかっていたけれど、届いた結果に私の獲得得点も示されていて、私は66%ということだった。

 

ちなみに合格ラインは80%で、私は昨年度より多少は上がったが、それでも合格ラインまではまだ〝ほど遠い〟結果で、トホホな状態には違いはない。