寒い日に級友の訃報などを想う | がいちのぶろぐ

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寒い一日になっている。だが週明けにはもっと寒くなり、ここしばらくなかったほどの冷え込みになる、という〝物騒な〟気象予報までが出されている。

 

火曜日から水曜日には、全国的にすっぽりと寒気団に包まれて、太平洋側でも積雪の恐れがあるという。まぁ京都市も、毎年一度や二度は積雪があるから、だから何?ということかも。

 

思い返せば、7年くらい前の正月に積雪が20cm余りになり、たまたま我が家に集まっていた孫たちが、滅多にないことだから、嬉々として雪だるまを作っていたことを思い出す。

 

あれからもう7年も経ったから、そのころは3歳児でも10歳になっている勘定だ。だから今では、その頃のような単純な驚きと喜びということはないだろう。

 

私が小学校の頃は、京都でももっと雪が降り積もった記憶がある。当時通っていた小学校の裏は、荒れ地の原っぱになっていたから、そこでクラス全員で雪合戦をした記憶がある。

 

 

 

今ではその小学校も閉鎖され、高級ホテルに生まれ変わった。今年はそのホテルを会場に、遅ればせながら卒業60年記念のクラス会がやっと開催できた。

 

何ともにっくきコロナ禍のために、3年振りにやっと顔を合わせて集まることができたけれど、それでもコロナを理由に出席を断った級友もいた。基礎疾患を持っているからと。

 

 

 

私だってウィズ・キャンサー、食道がんに罹患してから、まだ2年しか経過していない。しかもその間に、早期に見つかったから軽い治療で済んだけれど、再発も経験している。

 

出席を見合わせた級友も、最近こそ元気にしているが、一時期は腎臓疾患で苦しんでいた。みんな後期高齢者、いや高貴好麗者の集まりだから、毎年、何があっても不思議ではない。

 

そう言えば先日、年賀状の返礼に奥様から丁重な寒中見舞いとして、中学から大学まで一緒だった友人の死亡通知が届いて愕然とした。何とも言えない気分だった。

 

彼は、中学のクラス会の幹事を引き受けてくれていて、最近はコロナ禍で集まれないことを嘆きつつ、メールで級友たちの近況通知をくれたりもしていた。

 

そのご本人が、あっけなく逝ってしまっていた。最近は家族葬が中心だし、この歳になれば現役でもないのであまり誰にも知らせないから、知らないままにこうしたことと出会う。

 

昨年末には、可愛がっていただいた先輩の奥様から喪中葉書が届いた。これも少しショックだった。ただ、これからは、こうして櫛の歯が欠けて行く歳となるのだろう。

 

いや私が何時、そうした通知に名前が載せられる本人になるか、わかったものではない。こうした一つ一つが、この年齢になった人間のたどるべき運命だろう。

 

今日はかなり寒くなったせいか、ちょっぴり気分が沈んでいる。とは言え、午後に丸善書店に出向いて、思わず斎藤幸平氏の「ゼロからの『資本論』」を買ってしまった。

 

 

 

前著の大ベストセラー「人新世の資本論」の続編だと思う。さて、他にもあれこれと読むべき本が貯まってきてしまった。頑張って、少しずつでも読了して行かねば。