日野・法界寺の「裸踊り」の日だけど | がいちのぶろぐ

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季節外れの、暖かい雨模様で明けた一日。ずっと、机の前に座って本を読み耽っている日になった。何かをしたいということも無く、だからと言って行くべき場所も思い付かない。

 

ましてや午前中は雨が残っていたから、それだけでも出掛ける気が失せてしまう。今夜は、京都市の東南、宇治市と境を接する伏見区日野にある「法界寺」で「裸踊り」が行われる。

 

下帯姿の男性が、国宝の阿弥陀堂の広縁に上がって「頂礼、頂礼」の掛け声とともに、激しく揉み合うという行事で、京都市の「登録無形民俗文化財」に指定されている。

 

 

(日野法界寺/阿弥陀堂)

 

そもそもは、元日から2週間にわたって行われる「修正会」の、最終日で結願に当たる14日の夜に行われ、この時に使った下帯は安産のご利益があるとされている。

 

 

(法界寺阿弥陀堂の広縁)

 

この阿弥陀堂に祀られている、像高2.8mの阿弥陀如来像も国宝に指定されており、宇治・平等院の阿弥陀如来ととてもよく似た顔つきの、仏師・定朝様の仏像である。

 

この裸踊りにも、一度は行ってみたいと思うのだが、まず我が家からは相当に遠く、しかも山の上と言ってもいい場所にあって、地下鉄の駅を出てからのバスの便も悪い。

 

この「法界寺」は、1051(永承6)年に日野資業(ひのすけなり)が薬師如来像を造り、安置する薬師堂を建立したのが起源とされている。

 

日野という地は日野氏の領地で、日野氏の一族が居住していたとされており、この「法界寺」が日野一族の氏寺となった。

 

この「法界寺」のお隣りには、「誕生院」というお寺もある。「誕生院」というくらいだから、誰かの誕生にまつわるお寺だが、ここが親鸞聖人の生誕の地とされている。

 

 

 

親鸞聖人は、日野一族の日野有範の長男として、この地で生まれたとされている。だから、現在は「誕生院」というお寺が建立され、産湯の井戸なども残されている。

 

 

 

 

「法界寺」からさらに山の上に上がると、鴨長明が庵を結んでいたとされる場所もあり、鴨長明はその「方丈」の庵で「方丈記」を書いたという。

 

「方丈」とは1丈四方という意味で、1丈は10尺で約3mだから4畳半より少し大きめという広さ。今風に言うなら、1ルームマンションの一室程度ということだろうか。

 

そこに籠って、山上から下界の俗世間を眺め、辛口のエッセイを書いていたというということになる。まず世捨て人なんだろうけれど、〝なんだかなぁ〟という気がしないでもない。

 

この鴨長明の家系は、下鴨神社の摂社の河合神社の神官だったそうだ。それで、現在は河合神社の境内にこの「方丈」の庵が再現されている。

 

 

(河合神社境内の「方丈の庵」)

 

というような場所にある、由緒正しいお寺の「法界寺」の、国宝・阿弥陀堂で繰り広げられる、京都では珍しい「裸祭り」だけに、一度は見ておきたいとは思うのだが。

 

さて、コロナ禍で昨年の「裸踊り」は中止の憂き目にあったけれど、今年は無事に実施できたのかしら。