どこかへ行こうとか、何かやろうという気がまったく起きない一日だった。やはりこれだけ寒いと、家を出ようという意欲が失せてしまう。
だから、読みかけになっている本を読もうと思ったが、ちょうどここからが読み続きという部分で、なぜかそこからは急に難解な文章・内容になっていた。
読み返したり、前の方をもう一度読んだりしないと、思考がなかなか追い付いて行かないので、新書版の1ページを読むのに5分ほども掛かってしまう。いやもっと長いかも。
そんなことをしているから、5,6ページを読んだところで急に眠気が襲ってきて、いったん休憩というか、読書が中断という状況に。
なかなか手強い本と取り組んでしまったようだ。松長有慶氏の岩波新書「空海」(2022)。「ロングセラー『密教』『高野山』に続く、第三弾」と扉に書いてあった。
松長氏は1929年のお生まれだから、93歳になられたということか。高野山大学の学長や、高野山真言宗の管長もお勤めになった長老の学僧であられる。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」を数十年ぶりで再読した勢いで、本屋さんでこの本を手に取ったから購入したけれど、これがとても大変な作業になっている。
「あとがき」で、松長氏が「六十数年前、インド密教の解明を目指して研究者の門をたたき、ようやく空海にたどり着いた」と書かれている。
これほどの方がやっとたどり着いて、「現代文明の中で空海のもつ、思想的な役割について広く江湖に認識していただく端緒ともなれば」と、この新書を執筆されたそうだ。
それを生意気にも、密教の〝み〟の字も知らない私如きが読み始めたことが、そもそも間違いの始まりだったのかも。とにかくこの本は、再読・三読しないといけないと思う。
まずは、〝わからない〟なりに字面を追って最後まで通読してから、しばらく間をおいて再挑戦する必要があるだろう。
それにしても、この前の日曜の8日から今週いっぱい、東寺の潅頂院で「後七日御修法」が執り行われている。
(9日の京都新聞の記事から)
今年は、空海の生誕1250年に当たっている。宮中の「金光明会」で、空海がこの「御修法」の起源とされる真言の修法を行ったのは、入定前年の834年の12月だったそうだ。
これだけでも、気が遠くなるような歴史を重ねてきている。松長氏の著作は新書とは言え、この国が持った稀有の天才が残した思想を跡付ける本だ。
私如きが簡単に読み解ける方がどうかしている。だからこそ、じっくりと腰を据えて掛かろうと思う。