東寺だもんね~京都検定が生涯の目標 | がいちのぶろぐ

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私は〝後期高齢者〟という年齢のハンデがありつつも、昨年・今年と『京都・観光文化検定』1級にチャレンジしてきた。

 

しかし、何度もブログに書いたように、合格ラインとされる得点80%には遠く及ばず、今年もせいぜい65%ほどという結果で、2年続きの惨敗となっている。

 

 

 

しかしこのままでは諦めきれないから、こうなれば来年もチャレンジしようと思う。以前にも書いたけれど、この検定合格を人生最後の目標に置くことにした。

 

そうなると、昨年は2021年で「承久の乱(1221年)」からちょうど800年だったし、今年は「千利休 生誕500年」だった。

 

ということで、こうした大きな節目という場合は、そこに何らかの出題のインパクトがあるだろうから、ここに〝山を張る〟ことも、受験勉強では一つの考え方だろうと思う。

 

となると、来年2023年は「空海が嵯峨天皇から東寺を下賜されたのが823年」だったから、東寺=空海=真言宗にとっては『1200年目』という節目の年になる。

 

他にも、何か大きなことがあるのかもしれないが、とりあえず私の目に止まったのが、この出来事だった。だから、しばらく「東寺」「空海」をキーワードにしてみようと思う。

 

と言っても、東寺には何度も訪れたことがあるし、何よりも「世界文化遺産」の17寺社の一つでもある。だから深く知るためには、それなりに色々な手掛かりはあるだろう。

 

そう思って、まず我が家にある〝空海がらみ〟の本として、司馬遼太郎さんの「空海の風景」を再読することにした。何と言っても、もう40年余り前に出版された文庫本だけど。

 

 

 

それで、とりあえずは823年以後に東寺で起こったことの、時間的な推移も京都検定の公式テキストの記載から抜き出してみた。その結果、以下のようになっていた。

 

823年 嵯峨天皇が空海に東寺を下賜、真言密教の道場となる

825年 空海が東寺の講堂を築造、内部に21体の立像による立体曼荼羅を配置

826年 五重塔造営に着手(焼失で現在は4代目、徳川家光が寄進)

828年 庶民の教学施設として「綜芸種智院」建立

835年 宮中で「後七日御修法」を修し、王城鎮護の寺となる

 

つまり平安時代の初期に、東寺という官製の大寺の経営を譲り受け、この場所に真言密教の拠点としての、一大宗教施設を作り上げたということだ。

 

 

 

現在も東寺は、南大門を入ると「金堂・講堂・食堂」が南北に整列しており、これは仏教でいう「仏・法・僧に該当している」という解説もあった。

 

 

 

その上、東寺では今もなお、大師堂に祀られている弘法大師像に、毎朝、「生身供」として僧侶がご飯をお供えする儀式が行われており、私たちも一緒に見ることができるという。

 

 

 

なんと言っても空海という名前より、私たちには「弘法大師=お大師さん」という呼び名がしっくりと入って来る。お大師さんの足跡をたどるのが、「四国八十八カ所巡礼」なのだ。

 

これだけ親しく名前を知られている方が、開宗1200年を迎えられ、お寺は世界遺産であり、密教美術の宝庫でもあるというのだから、ここから出題されるのは当然だろう。

 

 

 

さて、司馬遼太郎さんの「空海の風景」を、ホントに久し振りに本棚から引っ張り出したのだが、本の周囲は日焼けし、本をめくれば何とも言えない匂いが立ち上って来る。

 

懐かしさとともに、少しずつ読み始めている。また東寺の五重塔は、「京の冬の旅」で1月から特別公開される。だから、とりあえず見に行かなくては、と思っている。