今日の午後に行われたオンラインのミーティングで、私にとって年内の対外的な作業は終了になった。1月6日のミーティングから、新年が動き始める。
今日は1月に2回開催する、保育・幼児教育施設の職員の方向けワークショップの、タイムテーブルや備品準備など、具体的な詰めの打合せをしていた。
これで私は、明後日、千葉から娘の家族が帰省して来るのを待つだけとなる。とは言え、この一年を振り返るという気持ちも特になく、明日もまたダラダラとした日になるだろう。
後期高齢者の身でありながら、日本人が定住外国人と良いコミュニケーションをとれるように「やさしい日本語」を広めるという、社会と関わる活動に加わることができている。
普通であれば、もう社会から全くリタイアする状態になっていても不思議ではない。そんな中で、多少なりとも社会とつながっていられるだけでも有り難いことだと思う。
まさに文字に書かれている通り、有り難い=滅多にないことだと思う。ご一緒させていただいているメンバーの方々には感謝の気持ちでいる。
もっと言えば、先日は私たちの活動について、同志社大学の学生さんたちからインタビューを受ける機会もあった。孫世代の人たちと対等な会話をして、なんとも〝面映ゆい〟ことのように思えた。
それにしても、日本語の理解や使用が十分ではない人たちと、どのようにコミュニケーションをとればよいか。そのアプローチとして、「やさしい日本語」の使用を提案している。
これに対して、衆議院議員であり本日までは総務政務官だった杉田水脈議員は、自らの言説がヘイトに当たるという自覚は持たず、〝信念〟だと言ってなおも自説にこだわっている。
こんな存在が、いやしくも衆議院議員であること、しかも比例ブロック1位に置かれているために、選挙の洗礼も受けることなく、自動的に議員になり得るということの滑稽さ。
〝こんな人〟を当選させたのは、選ぶ有権者の側にも責任がある、とよく言われるけれど、彼女は比例名簿にだけ登載されて、自身は選挙区選挙と関係なく選ばれている。
この人を衆議院議員にしたくないと有権者が思っても、比例代表名簿の1位に名前が載っている限り、自民党に対して一定数の投票があれば自動的に当選してしまう。
つまり現状の衆議院の選挙システムでは、彼女を衆議院議員にしたくないという意思表示が、有権者には出来ないシステムになっている。
彼女の当選を阻止しようとしても、そのブロックの各選挙区の自民党候補の獲得議席が仮にゼロになっても、各候補にそれなりの得票数があれば、十分に比例代表で当選できる。
あまりにも馬鹿げた選挙システムだと思う。いや、世界には政党名で投票するケースも少なくない。だから政党が必要な人材だと思えば、有権者の意思は反映されないこともある。
結果的に、杉田議員を比例名簿1位にしたということは、自民党自体が、ヘイト・スピーチをすることが重要政策だと言っていることと変わらない。
そんな人間とわかりながら、総務政務官に就任させたのは、職責を果たす能力うんぬんという話ではない。諸外国に向けて、岸田内閣はヘイト内閣だという意思表示になる。
2カ月足らずの間に閣僚4人を更迭せざるを得なくなり、挙句に党を挙げてヘイト政策が重要だと内外にアピールするなど、岸田総理は本当にその座にふさわしい方なのだろうか。
後期高齢者になり、今さら議員や総理に誰がなろうと、自分の人生にはどうでもいいようなものだけど、何だか情けなさ過ぎて、定住外国人支援なんて言えたものではない。