年の瀬も押し詰まって来たが | がいちのぶろぐ

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いよいよ、年の瀬も押し詰まって来た。かつては、正月準備と言うだけでも、買い物やら掃除やらと、いろんなことがあった。それが今では、もうすっかり簡素化しつつある。

 

正月だから、年始の挨拶にお客さまが来られるという習慣も、すっかり絶えてしまった。いや、我が家だけがそうなのかもしれないが。

 

我が家だって、かつては親戚が年始の挨拶に来られることもあれば、もっと昔は、オヤジの付き合いで取引先の方が挨拶に来られることさえあった。

 

そういえば会社だって、3日に新年会が行われるところもあったし、遅くとも4日には初出になり、その際、女性社員は着物姿の出勤風景が当たり前だった。

 

特に会社では、そういった正月行事などはいっさいが廃止になり、ただ単に年末の続きの仕事が待っているだけ、ということが普通になった。これを味気ないと思うかどうかだが。

 

子どもにとって、お正月は「お年玉」がもらえるというだけではなく、新しい洋服や下着なども準備してもらえた。それに身を包んで、「おっ正月!」という気分になった

 

だからお正月とは、特に子どもにすればそれこそ〝年が明けた〟ことで、何から何までが新しくなり、それまでとは違った変化が起きる、という一大セレモニーだったと思う。

 

それで、お正月の直前である歳末は、新たな年を迎える準備に余念がない、という状況になったものだ。だが最近は、そうしたことのすべてが〝なかったこと〟になってしまった。

 

だから新聞やテレビのニュースでは、寺院などで恒例の歳末行事があれば、〝それっ〟とばかりに〝歳末の風景〟として報道される。

 

先日から、仏さまの〝お身拭い〟で1年間のホコリを拭きとる行事や、本堂の〝煤(すす)払い〟などが新聞に写真入りで紹介されていて、何となく懐かしさを覚えた。

 

私もせめて自分の部屋の整理を、いやせめて机の上くらいは片付けた方が良いと思うけれど、万が一(?)やったとしても、そこらあたりが精一杯かもしれない。

 

思えば2年前に、食道がんの宣告を受けてからピタリと禁煙をしたが、それまでは自分の部屋の窓ガラスだけは、さすがに年末に拭いていた。何しろヤニで茶色くなっていたから。

 

さて千葉の娘家族が、今年は年末にやって来る。それもあと3日後になった。豆台風くんは、どれくらい変わっているだろうか。この年末で、これが一番の出来事だ。