「行為は省察によって完結する」ことの重要性 | がいちのぶろぐ

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来月というか、年明け早々には、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体がワークショップを企画している。このことは、昨日のブログに書いた。

 

 

 

そこでまったくの偶然だけれど、今日配信されてきたオンライン情報誌に、『ワークショップの技法』と強く関係した内容の記事が掲載されていた。

 

この情報誌は、「『組織ファシリテーションの知を耕す』をコンセプトに掲げる知識メディア」として、株式会社MIMIGURI(ミミグリ)というところが発行している。

 

そこで今日は、「リフレクションとは何か:連載「リフレクションの技法」第1回と題して、リフレクションリサーチャーの瀧知惠美さんが解説をされていた。

 

「リフレクション」とは、「日本語では『ふり返り』『省察』などと」言われている。

 

私たちもワークショップを行った時には、グループごとの課題発表を行った後で、最後に必ず「振り返りの時間」を設定し、参加者が体験の共有が行えるように心掛けている。

 

 

 

この「振り返り」について瀧さんは、「自分が経験した出来事について、その場の状況に埋め込まれている本質が何なのかを見出すこと」が大事だと書かれていた。

 

そこで今日は、この瀧さんの解説に沿って、私なりに〝ワークショップにおける振り返りの意味〟について考えていた。〝意義〟とまで言うと、少し大げさになるかもしれないが。

 

まずワークショップにおいて、それぞれの参加者は、それまでの個人の経験によって、異なる価値観や考え方を持っている。これは当然のことだ。

 

その人たちがワークショップという場に集まり、チームとして何かのテーマを話し合う。この場合多くは初対面同士であり、そうでなくても、ほぼ顔なじみではない人たちである。

 

だから、参加したメンバーはお互いがどんな背景を持ち、何を考えたり、感じたりしているのか、その場ですぐには理解しにくいのが、開始時点の普通の状況である。

 

このことを前提にした上で、その場でのディスカッションを通して何かを組み立て、新しい知識・知恵に仕上げて行くこと自体が、それぞれの参加者にとって大きな経験値となる。

 

だから、この場で得られたことをそのままで放置せず、「省察=振り返って把握し直す」ことにより、新たな自分の「価値」へと転換することができるだろう。

 

 

 

ここで「議論」を自分の中で「価値」として成り立たせるためには、単にその場で話し合ったという「行為の積み重ね」だけでは十分ではないと、瀧さんは言われる。

 

この場の「議論」が、新たな「価値」として身に着いたものになるためには、「行為と結果の間にあった(と自分が思える)関係性」をそれぞれが振り返ってみることが重要であると。

 

こうしたことを、瀧さんは「リフレクティブ・シンキング(反省的または省察的思考)」と呼んでおられた。

 

つまり、今回の記事から読み解ける結論としては、「行為は省察によって完結する」と考えても良いのではないか、と思った。

 

今までのワークショップでは「振り返りの時間」を、何となく主催者側の全般的な感想や、その日の全体のまとめを述べる時間、といった感覚で捉えていた。

 

けれど瀧さんの言われるように、「行為と結果の間の関係性」を見つめ直す時間だとすれば、この「振り返り」時間の使い方を、もっと突っ込んで考える必要がありそうだ。