今日配信のダイヤモンド・オンライン誌に、池上彰さんの「就活生に指南『本当にやりがいのある会社の選び方』」というインタビュー記事が掲載されていた。
私が〝しゅうかつ〟をするなら、それは間違いなく「終活」の方で、決して「就活」ではない。それはわかっているが、記事の中で語られている言葉が含蓄があって面白かった。
池上さんは、「先が見えない時代に求められるのは『未来を想像する力』」であり、「その手がかりが、実は過去の歴史の中にある」と言われる。
それに続いて、実に面白い表現をされていた。「歴史は繰り返さないけれど韻を踏む」と言われるのだ。ホントにそうだと思う。
時代も背景も異なっているのだから、歴史がそのまま〝繰り返さない〟のは当然だとしても、「韻を踏む」という表現はまさに〝言い得て妙〟の表現だろう。
よく〝いつか来た道〟と言われる。もちろん、まったく同じ道をたどっているのではないけれど、人はともすると、よく似たコースをたどりがちな生き物だ。
そしてそのことに気が付いていても、付いていなくても、結局そのコースをたどってしまうことになるのも、また人の習性なのかもしれない。
なぜ、そうしてしまうのか。「人間というのは『よく分からないこと』に直面すると不安を覚える」ものだから、安心のために、よく似たコースを選択するのではないだろうか。
それについては、「正しい知識を持つことが、先の見えない未来への不安を軽減し、払拭する力になる」と、池上さんは考えている
まったくその通りだと思う。ただしかし、「正しい知識」が持てないのが人という存在だ、という言い方もできる。そこをどのように考えればよいのだろう。
池上さんはそこで、「変化の激しい不確実性の時代にあって決して変わらない『確かなもの』」が持つ重要性について触れておられる。
この「確かなもの」とは、「自分が働くことで誰かが喜んでくれる。自分の仕事を必要としている人たちがいる。こうした仕事から得られる『やりがい』や『生きがい』」だという。
つまり大学生たちが就活を進める際に、「本当にやりがいのある会社の選び方」というのは、「仕事から得られる『やりがい』や『生きがい』」の有無にある、ということだろう。
同時に、就活生だけでなく、私たちが生きて行く上で、この「『やりがい』や『生きがい』」の有無ということは、常に指針となる考え方だと思う。
池上さんはピーター・F・ドラッカーの「未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ」という言葉を引用しておられた。
つまり、「未来がどうなるかなんて誰にも」わからないけれど、それは言い換えれば「ワクワク・ドキドキの時代」でもある、というのだ。
つまり私たちは、「先が見えない時代」「不確実性の時代」に生きているけれど、自らの力で「未来を創る」と考えればいいわけだ。
「『やりがい』や『生きがい』」は、きっと誰かに与えてもらうものではないし、自分自身が「未来を創る」作業を行うことで、「ワクワク・ドキドキの時代」に変えることができる。
〝言うのは簡単だけど〟と言ってしまえば、もうその先はない。この「ワクワク・ドキドキの時代」に変える気持ちを持ち続けることが、とても重要なのだと思う。
私の大嫌いな言い方なのだけど、〝記事を読んで、池上さんから勇気をもらった〟と言う人が出て来るような気がした。勇気なんかは、もらえるものではないと思っているが。
ただこの記事を読んだ後に、胸の隅っこに貼り付けておきたい言葉が、いくつもそこ書かれているような気がしている。