学生さんからインタビューを受けて | がいちのぶろぐ

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今日は、昨日のブログに書いたように、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が、京都市上京区役所のSNS発信のための取材を受けていた。

 

 

 

取材を担当してくれたのは、同志社大学政策学部の1回生の皆さん。たしかに「やさしい日本語」というテーマを取材をすれば、話は〝それって、いったい何?〟から始まる。

 

それは当然のことだし、私たちの団体の生い立ちや活動内容も聞いてくれたけれど、こうした、ある意味では〝通り一遍〟の話で終わってしまうのは凄くもったいない。

 

 

 

質問してくれる際の態度や言葉の選び方、重ねての質問の中味など、さすがにレベルの高い学生さんたちという感じで、とても好感の持てるインタビューになった。

 

ただ少し残念というか、「やさしい日本語」という表面的な言葉に囚われて、その部分を掘り下げようという視点が中心になっていた。

 

もちろん団体紹介がメインの取材だから、そうした質問を準備してくれているのは有難いことだし、こちらとしても答え易い。

 

しかし、私たちは「やさしい日本語」を〝広める〟ことが、団体の設立目的には違いないけれど、その根底には〝すべての人にとって暮らしやすい社会作り〟という大目標がある。

 

だから、極端に言えば「やさしい日本語」でなくても、定住外国人にとって必要なコミュニケーションが取れるならば、どんな手段であっても良いわけだ。

 

 

 

ただ、こちらがたどたどしい英語や、その他の外国語を使うことによって、むしろ相手側に誤解を与えるくらいなら、私たちには話し易い日本語を使うことも考えてみよう、という話だ。

 

その場合に、相手にとっても理解できるような〝伝え方の工夫〟をすれば、かなりの数の定住外国人とは〝意思疎通が図れる可能性〟がありますよ、という提案をしている。

 

書き言葉であれば、使われている漢字に振り仮名を振ったり、難しい表現を避けたり、会話であればゆっくりと、センテンスを途中で端折らずに最後まで話す、といった工夫だ。

 

こういう伝え方は、同時に高齢者や子どもにとってもわかり易い表現になる。これを〝コミュニケーションにおけるユニバーサルデザイン化だ〟と言ってくれた人もいた。

 

今日も学生さんたちに、この〝コミュニケーションにおけるユニバーサルデザイン〟ということは、こちらから説明しておいた。

 

 

 

段差のない街づくりが、車いすの人たちにとって便利であるように、誰にとってもわかり易い話し方や表現方法は、より多くの人にとって便利なものになると思う。

 

これは何よりも、あらゆる局面・場面で〝差別や排除〟といった行為や思考からは、最も遠いところにある思考方法だと、私は考えている。

 

学生さんたちにも、この考え方の根本が伝わったみたいで、それはとても嬉しく思えた。20歳前後の頭が柔軟な時代に、モノの見方・考え方の〝多様性〟を身に着けてほしいと思う。

 

今日は予定の時間を超えて、けっこう長く話をしていた。こんな話なら、いくら時間が長くても、私にすれば心から楽しいと感じられる時間だった。