今日、午前中は雨模様。午後も雨こそ降らなかったが、どんよりとした曇り空で、肌寒い日になった。こんな日は、こちらのテンションまで下がってきてしまう。
一昨日の京都・文化観光検定に、2年続けて惨敗してからというもの、気分は上って来ないし、何かに取り掛かろうという積極性も、まだ湧いては来ない。
今回は合格ラインの80%はかなわなくても、せめて70%くらいのレベルには達したいものだと思って臨んだが、無残にも60数%程度だったから気落ちしてしまった。
しかも、解っていながら漢字の書きミスをしたり、知っていたはずのことが出てこない、という問題が実に5問ほどもあった。こうしたミスをなくせば、70%は越えていただろう。
しかし日ごろ起こらないようなミスが起こるのが、時間を区切られた本番の試験の恐いところだとも言える。緊張感や時間配分など、いろんな要素が絡んでしくじってしまう。
〝また来年〟と、気持ちを切り替えたいところだが、後期高齢者となれば、やはり記憶力は年々衰えていくわけで、そのためにも早く合格しないと、と気持ちは焦ってしまう。
ところで明日は、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が、上京区役所の肝煎りで、同志社大学の学生さんたちから取材を受けることになっている。
区役所のSNSの情報発信に、私たちの団体が記事として取り上げてもらえる。こうしたことが積み重なって、世間で少しずつ「やさしい日本語」への理解が広がってほしい。
定住外国人が日本で生活して行く際に、英語だけが理解できる言語では決してない。むしろ、英語力は普通の日本人と変わらない人の方が多いと思えば良い。
だって当たり前のことだけど、定住外国人=米・英・オーストラリアなど英語圏の人(または、それに近いヨーロッパの人)だけでなく、むしろアジア圏の人の方が多いのだから。
ただ私たちは、テレビのニュース番組などのインタビューでも、解り易い映像作りということもあると思うが、外国人=欧米人という感覚に慣らされてしまっている。
韓国や中国から来た人では、パッと見た時に日本人との差違が解り難いし、あえて東南アジアの人を探すよりも、インタビューする側も対象を見つけ易いと思っているのだろう。
だけど定住している外国人には、少しでも日常生活を送り易いように、日本語を理解しようと学習する人も多い。そんな人にとって、「やさしい日本語」はとても便利な道具だ。
私たちがアメリカやヨーロッパに行った時に、早口の現地らしい言い方ではない、ゆっくりと短いセンテンスの、易しい構文の英語で話し掛けられたらホッとするだろう。
こうした会話は「Plain English」として、英語を第1言語としない人たちと話す時に有効な言葉とされている。いわば、中学1,2年生の英語のテキストの会話と思えば良い。
これと同様のことは、日本語に置き換えた場合にも起こり得ることは、すぐに理解してもらえるだろう。これが「やさしい日本語」を使うことの必要性だ。
以前、中国からの留学生にインタビューした時、アルバイト先の人が関西弁で話してくるので、まったく理解不能だったという話をしてくれたから、大笑いになったことがある。
関西弁は、まず早口である。しかも、しょっちゅう単語を短縮する。もちろん主語など、どこかへ放り投げてしまう。その上、時として単語まで東京の言葉とは異なる。
それをアルバイトの初日から、何の遠慮もなく〝かまされ〟たのでは、当の本人がパニックになってしまっても仕方がない。そんな苦労を乗り越えて、生活をしていることも多い。
さて明日インタビューしてくれる学生たちは、きっと優秀だと思うけれど、定住外国人の気持ちを上手く理解してくれるだろうか。どんな説明をすれば良いか、考えてしまう。