Z世代の「タイパ消費」ってなんだか疲れる | がいちのぶろぐ

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「Z世代はなぜ時間があるのに時短を求める?『タイパ消費』の実態」と言われても、〝何だかなぁ〟と思ってしまう。今日配信の、ダイヤモンド・オンライン誌の記事だ。

 

私には、〝そもそも「タイパ消費」って何?〟から始まったのだが。記事では、「近年、タイムパフォーマンス(以下、タイパ)と呼ばれる消費行動が注目を集めて」いるらしい。

 

この記事は、主として青山学院大学経営学部の久保田進彦氏に、解説インタビューをお願いして、全体を再構成したものらしい。

 

そこで「タイパ消費」とは、「〝時間効率〟を意識した消費者の行動を指す」と説明されていた。なるほど、コスト・パフォーマンスに対してのタイム・パフォーマンスねぇ。

 

タイパにも、「『時間がないから時間を大切にしたい人』と『待ちたくない、今すぐ楽しみたい人』の2種類」があるそうだ。「前者は『時短型』、後者は『バラエティ型』」だという。

 

多忙で「時間がないから時間を大切にしたい人」は、たくさんいらっしゃるだろう。この人たちが、時間を効率的に使いたいと考えるのは、これはまったく当然のことだ。

 

また、楽しみが待ちきれないという人も、恐らくたくさんおられるだろう。それは、人としてごく普通の感情だと思う。

 

ただしこの「バラエティ型」と言われる人たちは、「一定の時間内でより多くのモノを消費したり、自分の時間を目一杯楽しみたいのが特徴」だと書かれていた。

 

つまりは、「〝今〟を楽しむ欲張り消費であり、時間に追われる『時短型』とはかなり異なる」と書かれていた。これには「価値観の変化とデジタル化が深く関わって」いるらしい。

 

話題にされているZ世代とは、物心がついた時には21世紀になっていて、スマホをはじめデジタル機器があることが普通、という環境で育ってきた世代。

 

だから「デジタルネーティブであり〝デジタルツールの卓越したユーザー〟である」という指摘は、まったくその通りだと思う。私たち世代とは、価値観が異なるのも想像がつく。

 

だけど、「〝時間があるのにタイパを求める〟という、一見矛盾した行動を取る人々は、価値観の変化とデジタル化が深く関わっている」といわれても、ホント?と思ってしまう。

 

この若い世代は「多様な製品やサービスを素早くスイッチングする『柔軟な消費能力』を獲得している」と、久保田氏は捉えている。

 

そこで久保田氏は、「デジタルツールを使いこなす能力と、複数の情報を同時に処理する能力にも長けており、バラエティー型のタイパ消費が行える」と解説される。

 

ウーン、そう言われてもなぁ。若いから、柔軟な対応力があるのは納得できるけれど、だからそれが直ちに「タイパ消費」に向かうというのが、私にはまだ腑に落ちない。

 

久保田氏は、「『リキッド消費』呼ばれる消費スタイルが、Z世代のタイパ志向を読み解くうえで重要なヒントになる」というのだ。「リキッド消費」とは、以下のようなことだ。

 

「その場その場で価値感が次々に変わる『短命性』、レンタルやシェアリングによって価値にアクセスできれば十分、と考える『アクセスベース』、物質に頼らなくなる『脱物質』」。

 

「この3つの組み合わせがリキッド消費」だということらしい。時々刻々と価値観が変化するのが「短命性」で、「アクセスベース」とは〝非所有性〟と言っても良いだろう。

 

そして「脱物質」とは、ハード中心からソフト=コンテンツ重視への移り変わり、と言っても良いだろう。

 

結局のところは、ハードの所有よりコンテンツ優先であり、そのコンテンツにしてからが、自分の意識の中での必要性や価値はどんどんと変化する。これが「リキッド消費」だ。

 

となれば「リキッド(液状)消費」とは、液体に定まった形がないのと同様に常に変化し、しかもその液体そのものは重要でなくて、液体の利用性が大事だということなのだろう。

 

「製品やサービスが〝役に立つこと〟に価値が置かれ、ツールとしての価値が重視される」というから、『水道水型消費』などと武骨な言い方をすれば、意外と解り易いかも知れない。

 

これに対比されるのは「モノを所有し、長く使う『ソリッド消費』という消費スタイル」ということらしい。こちらは、きっと旧態依然とした〝物持ちさん〟なのだろう。

 

言ってしまえば、『漆塗り茶碗型消費』と言えば良いだろうか。ちょっと雑に扱えばすぐに傷付いてしまうけれど、大事に使えば孫の代まで使用ができる。物持ちが良い暮らし方だ。

 

ただし茶碗は茶碗であり、高価なものでも他に転用の方法が少ない。まして、デザインが自分の好みと合わなくても、もったいないと思えば捨てるに捨てられない。

 

それゆえ、この記事の結論部分では、「Z世代は気まぐれなので、製品やサービスに対するロイヤルティーが低い傾向」があるという。

 

だとすればマーケティング手法として、「『囲い込み(lock in)』という手法に出るのは危険」だし、Z世代の方も、「深く付き合うのは嫌だと思っている」と書かれていた。

 

なんと言っても、「囲い込みとは〝顧客を逃げ出せなくしよう〟とする手法」だから、最も嫌われるだろう、という感じで締めくくられていた。

 

水道水はペットボトルの飲料水よりうんと安価で、利用方法によってコーヒーにも出し汁にも、もっと言えば風呂の湯にも、その時々の必要性に合わせて変化させられる。

 

不要になれば、水質によっては排水溝にそのまま流すことも可能だ。一方、漆塗りの茶碗は形を変えることもなく、そのまま〝茶碗です〟と言って座っているだけだ。

 

この〝水道水のような状況〟を好むのがZ世代であり、その人たちに向けて、漆塗りの茶碗を売ろうと考えることが無謀なのだ。それはわかった、よく解る話だ。

 

わかったけれど、Z世代に向かって言いたいのは、〝そんなに生き急いでどうするの〟と言うことだ。必死になって情報を追い求めても、それは自分が作り出したものではない。

 

ならば、何か自分が作り出せるものがあるか、と考えたら、一歩どころか三歩下がって、生き方を見つめ直すこともできるだろう。タイパなんて、ただただ疲れるだけだと。

 

もっとも、そう言うセリフ自体が、タイパにとって無駄なんだろうな。