哲学の道の桜は今、三分咲きというところ | がいちのぶろぐ

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月最後の週末は、気持ちよく晴れあがった青空になった。各地で桜の開花宣言も出される時期になり、SNSでもあちらこちらの桜の写真が見受けられるようになった。

 

それで私も〝なる早〟で状況視察(笑)に行かねばと、今日は我が家から近い「哲学の道」の周辺に出掛けてみた。

 

 

 

「銀閣寺道」バス停でバスを降り、琵琶湖疎水沿いを歩き始めた途端に、ちらほら咲きの桜が目に付いたが、それよりも流れに浮かぶ水鳥が。なんとものんびりとした光景。

 

 

 

さらに「銀閣寺」方面に向かえば、開花が始まった桜の下で写真を撮る人が目に付く。「哲学の道」から、さらに坂を上った場所にある銀閣寺へと向かう人も多い。

 

 

 

「銀閣寺」の門前から南に向かう、哲学の道よりさらに一段高い位置を南北に通る道は、哲学の道より観光客の姿が少ないけれど、それでも今日はかなりの方が歩いていた。

 

 

 

しばらく南を目指してゆけば、自然に「法然院」の脇を通ることになる。法然院のお寺の崖に、椿がポツンと落ちていた。それが苔むした石垣に映えて、なんとも言えない風情。

 

 

 

 

法然院の南側には「安楽寺」があり、それを通り過ぎると、今度は「谷の御所・霊鑑寺」に出会う。江戸時代に後水尾上皇の皇女が創建し、その後も皇女が住職を継承した門跡尼寺。

 

 

(安楽寺の門前)

 

それで、この地域の地名「鹿ケ谷(ししがたに)」から「谷の御所」と言われ

る。〝人形の寺〟として有名な「百々御所・宝鏡寺」と並んで、多くの御所人形を所蔵している。

 

 

 

さらに、この霊鑑寺の片隅には、「洛陽十二支妙見」の「卯」に当たる〝妙見堂〟がある。霊鑑寺の境外と言えば良いのだろうか、ポツンという感じでお堂が立っている。

 

 

 

妙見堂の中を覗けば、「卯」にふさわしく兎の置物が置いてあるのだが、この兎の眼つきがちょっと不気味な気もした。

 

 

 

 

とりあえず私の「洛陽十二支妙見巡り」は、残すところ「戌」の「三宝寺」1カ所だけになった。と言っても、この三宝寺が行き難い場所にある。

 

京都市内から紅葉の名所〝高雄〟に向かう周山街道を、〝福王子〟という京都の町の内外を隔てる交差点から高雄方面に向かった先に、三宝寺のバス停がある。

 

 

 

しかもそこからけっこう山の上まで上ったところに「三宝寺」があるという寸法だ。その上に、ここを通るバスは1時間に1本だけ。それに乗らないと行けない。

 

これがまた、我が家からはごく当然のことながら、どうしてもバスからバスへの乗り継ぎになるので時間が掛かる。ということで、いつ行こうか思案中である。

 

とりあえず今日は霊鑑寺の前から坂を下り、琵琶湖疎水に沿った「哲学の道」へ出て、そこを少し散歩した後は、また急坂を白川通りの方へ下って行った。

 

 

 

息切れがする上り坂よりも、一歩ごとに膝が痛むので、急な下り坂の方が歩くには一層こたえる。何とか膝を〝だましだまし〟しながら坂を下りきってバス停に着いた。

 

今日の「哲学の道」の桜は、まだ3分咲きといったところだろうか。日当たりの具合で良く咲いている木もあれば、まだ全くの蕾のままという桜もあった。

 

 

 

〝世の中は三日見みぬ間の仇桜〟と言う通り、桜はあっという間に開花して、ほんの1週間ほどで見頃が終わる。来週の週末、4月2,3日は哲学の道は桜の見頃になるだろう。

 

 

きっと大勢の観光客が、コロナ禍で長い間引き籠もっていた〝リベンジ〟とばかり、ドッとここを訪れられることだろう。それで良いではないか、春だもの。