〝置きベンチ〟という町おこしも「あり」だと思う | がいちのぶろぐ

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今日は天気予報通りに、午前8時頃からは雨模様となり、お昼頃は強い雨というほどではないけれど、それでも傘なしで出歩けるような状況ではなかった。

 

だから、「置きベンチ探し」の町歩きという、私も興味津々だったイベントを、そこまでして参加するのも、という気弱な気持ちになって参加を見送ってしまった。

 

 

(町中で見かけた「誰でもどうぞ」と書かれていたベンチ)

 

イベントの主催者が、フェイスブックに随時投稿されている様子を見ていると、〝あまり無理をしても〟ということで、アーケードのある商店街などを歩いているようだった。

 

同時に、別のグループが〝車いす散歩〟の体験イベントを行っていて、このグループもドッキングしながら、同じアーケード商店街で実施していたようだった。

 

こうした街に飛び出すタイプのイベントは、強い雨になると始末に負えなくなる。やはり参加者のモチベーションも下がるし、動きも鈍くなってしまう。

 

 

(以前に参加した雨の中の町歩き風景)

 

随分前のことになるけれど、私もけっこう強い雨の中を、町歩きに参加したことがあった。その時にガイド役を務めた大学生も、今は大学院生で立派な研究者になりつつある。

 

ただこの時は強い雨のために、このガイド役の方も途中でコースをショートカットするなどの措置をされたり、参加者のテンションが徐々に下がって行ったりしたのが感じ取れた。

 

事前に日程を決めて実施するのだから、当日が雨になるかどうかはその日が近付かないとわからない。こればっかりは仕方がない。誰を恨むわけにもいかないことだ。

 

ということで、私が今日の「置きベンチ探し」の町歩きを見送ったことの長い言い訳。

 

ただこの「置きベンチ」というアイデアは、とても奥深いと思う。私自身も、高齢者でかつ病気持ちになって初めて、町中での休息場所の必要性を実感している。

 

 

 

町の中に、誰もが遠慮も気兼ねもなく座って、〝フーッ〟と一息つける椅子があるのはとても大事なこと、というこのアイデアこそ〝素敵なこと〟だと思う。

 

最近は、京都市内の多くのバス停に、ちょっとしたベンチが設置されている。ただこれも、その場所にベンチが置けるスペースがあることが前提になる。

 

またバス停の近くにそれなりのスペースがある場合には、「バスの駅」と名付けて、かなりユッタリとしたベンチを置いている場合もある。

 

 

 

それにお店の目の前がバス停という場合、店と歩道の間のスペースに、お店が自発的に椅子を置いておられることもある。これなど、とても嬉しい心遣いだと思う。

 

こうしたことなどが、「置きベンチ」の発想の原点だと思う。ホントに、ちょっと一服ができるだけで、高齢者には随分と助かることがある。

 

だからその可能性がある場所を、みんなで見つけてみようという趣旨で行われた町歩きだった。雨で弱気になった自分が情けなくなるけれど。

 

 

 

そう言えば、シャッター街化しつつある商店街で、営業を行わなくなったままの空き家があれば、行政がそこを借り上げて休憩施設とし、商店街で管理すればいいと思う。

 

そこに椅子とテーブル、それにトイレがあれば十分だ。町中の至る所に「置きベンチ」があればなお良いけれど、商店街だけにでも、こうした機能があれば随分と町が変わると思う。

 

こうしたことを実現するのは、行政サイドからすれば〝とても難しいこと〟ではない、と思えるのだけれど。