また重苦しい気分になる事件が起きた | がいちのぶろぐ

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嫌な気分になってしまう事件が、また起こってしまった。大学入試センター試験の受験生らが、受験会場の前で刺されたという。その受験会場が東京大学だった。

 

センター試験の場合、自分が志望する大学で試験を受けるわけではない。全国の数多くの会場で一斉に受験する。だから、東京大学で受けても東大志望の受験生とは限らない。

 

一方で刺した犯人は、やはり高校生だが、愛知県に住む現在は2年生だということだ。だから、今日はまだ自分が受験生というわけではない。

 

これまでの報道では、この犯人の高校生は東京大学医学部を志望しているけれど、成績が下がってきたから、誰かを殺して自分も死にたかった、などと供述しているらしい。

 

どこまで犯人の真意が伝わっている報道かはわからないけれど、刺傷事件の前にも、事件現場から最寄りの地下鉄駅構内で、発煙筒のようなものを発火させていたらしい。

 

そもそも、愛知県から夜行バスで上京してきたというのだ。だから決して発作的な犯行ではない。準備万端整えてから、犯行に及んでいる。

 

先月に大阪市で起きた放火殺人事件と言い、今日の東大前での事件と言い、自分が死にたいほど思い詰めている割には、周到な用意をして犯行に及んでいる。

 

どこかで犯行を思い止まる分岐点というか、犯行に及ぶ意識から引き返せるチャンスがなかったのだろうか。なぜ他人を巻き込まないと、自分の意思が貫けないのだろうか。

 

心理学や精神医学には全く疎いので、私にはこうした事件を論じる能力も資格もないけれど、こんな事件が続発する状況は、あまりにも解らないことだらけだ。

 

青年前期の揺れ動く心理というものは、周りからは推し量れない部分があるだろうということは、こんな私にだってなんとなく想像がつく。

 

だから今日の犯行に及んだ高校生の家族も、ここに至るまでに、何らかのサインは感じ取っていたかもしれない。だけど、結局は犯行を止めることはできなかった。

 

犯人の高校生も、そもそも東大医学部を受験したいと思っていたくらいだから、もともとの学力は優秀な生徒だったのだろう。

 

だけど、成績が下がったからもう東大医学部へ行けない、と思い詰めたのだろう。そこが私にはわからない。ただ医者になりたいのなら、どこの大学の医学部でも良いわけだ。

 

東大医学部(理科Ⅲ類)が〝受験偏差値〟として全国で最も高いから、そこへ入学することが自分の生きがいというか、生存価値になるのだとしたら何と下らない感覚だろう。

 

 

 

そう思ってしまう。国内最高の受験に成功することと、自分の人生を自分で充実させることとは決してイコールで結ばれない。それがわからないのは、本人の幼さの所為だろうか。

 

最近は読書離れというか、活字離れというか、多感な中学・高校生時代に、世界の偉大な小説家の小説を読むことなどが、随分と少なくなっているらしい。

 

そこに書かれている人生観、世界観、哲学といったものに接することもなく、単に受験技術で優れていることが、何か勝利者になったように思えるのだろうか。

 

そんな生徒ばかりだとは思わないけれど、こんな事件が起きてしまうと、やりきれなさが先に立ってしまう。

 

テレビのバラエティ番組で、俳句の出来を競う「プレバト」という人気番組がある。その番組で、以前、レギュラー出演者が「俳句甲子園」の優勝校と戦う企画があった。

 

その時に、東国原英夫さんが詠んだ「いわし雲 布団の子規の 無重力」という句を、今日の犯行のニュースを聞いてフッと思い出した。

 

 

 

学力も優秀だった正岡子規だが、病魔に侵されて布団で寝ている。東国原さんは、その情景を「無重力」と表現した。実に素晴らしい比喩だと思う。

 

だが子規はそれでも病床で句作をやめなかった。それもまた、自分の人生と向き合おうとする子規の、『生』というものに対する真剣な姿だった。

 

今日、犯行に及んだ高校生の気持ちは知る由もない。けれど読書でも何でもいいから、受験勉強以外の何かに、ほんの少しでも目を向ける余裕がなかったのだろうか。

 

とても重苦しい気分になってしまうニュースだった。