令和の時代に受ける話し方って | がいちのぶろぐ

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「平成から令和に入ってウケる話し方が変わった」そうである。インターネット情報誌に掲載されていた、「ゴゴスマ」司会者の石井亮次氏が寄稿された記事である。

 

石井氏の見立てによれば、お笑いの舞台において「平成は『いじり』、令和は『やさしさ』」という特徴が際立ってきているということらしい。

 

だから例えば、「『容姿いじり』のようなネタが受けなくなっている」という。演者の口からそういうセリフが発せられたとき、「戸惑いが観客席に漂う」らしい。

 

つまり「最近は同じセリフに対する態度が変わって」きているから、「ウケる話し方」もそれに連れて変化している、という趣旨の記事だった。

 

〝なるほど〟というのか、何と表現したらよいのか。例えば漫才なら、〝ボケと突っ込み〟と称される演者の役割分担がある。

 

一つのパターンとして、ボケ役が〝世間の常識〟とは異なる変わったことを言ったり、演じたりする。突っ込み役はその言動を否定したり、常識とのズレを教え諭したりする。

 

その際に、ボケ役の言動が世間常識からすれば〝ズレている〟ことを際立たせるため、突っ込み役は時に引っ叩いたり、大声で怒鳴ったりする。それによって、落差を大きく見せる。

 

これが笑いを生む一つの手法になっている。この場合に、見る側は何を笑っているかと言えば、ボケ役の〝常識の無さ〟であり、見る側が自分に常識があるという事実を再確認する。

 

これを今風の表現をすれば、突っ込み役(と同時に、見る側)はボケ役に対して〝マウントを取る〟のである。これが平成の(というか昭和もそうであった)笑いの一つだった。

 

同時に、石井氏が言うような「容姿いじり」というのも、平均値(というものがあるとすれば)以下であると〝認識〟される容姿について、突っ込み役からする否定である。

 

ただし、これは小難しく言えば「人格の尊厳に対する否定」であることは言うまでもない。だからそんな場合に、今では「戸惑いが観客席に漂う」というのである。

 

石井氏は自分史に合わせて、「『昭和』の半ば頃は“スポ根”がもてはやされた時代」だったと振り返る。ただしその内容は、一つ間違えばパワハラものだったとも。

 

そして、「『平成』に入ると、いつのまにか『ふざける』『いじる』文化が主流となっていた」と述べる。「いじられて笑われている人を見て、周りも笑う」時代だったと。

 

それが「令和になって、またガラッと変わり(中略)誰かを笑いものにすることを面白がるのではなく、みんなが平和でおだやかな気持ちでいられることが最優先されている」という。

 

だから石井氏は、「誰も傷つけない、傷つけたくない。傷つけたくないのは、自分が傷つきたくないことの裏返しでも」あるけれど、「そう考える人が確実に増えている」と考える。

 

そこには、「ネットなどで悪口や人の悪意を目にする機会が多いからかもしれ」ないとも思っている。「今の世の中には『悪口』があふれて」いると。

 

こういう時代だからこそ、石井氏はご自分の情報番組である「ゴゴスマ」において、「『やさしさ』を感じていただきたい」と思っているそうだ。

 

「結局それが、視聴者にとっても、出演者にとっても、スタッフにとっても、みんながトクになる、近江商人の言う『三方よし』だと思っている」という。いい話だと思う。

 

そこから石井氏がたどり着いたのは、「他人をいじるんじゃなくて、自分をいじればいい」ということだったそうだ。それは、ある意味で〝自虐ネタ〟と言えなくもない。

 

だからすぐに続けて、「あまりにも自虐的なネタはやめておいたほうがいいかな」と書いておられた。

 

結論としては、「聞いているほうが『笑えない』『笑っていいのか迷う』ような話じゃなく、ほっこり笑えるエピソード」が良いだろうと思っておられる。

 

これがつまりは「平成から令和に入ってウケる話し方が変わった」という、その中味ということだ。この石井氏の意見はよくわかる。

 

最近〝受けている〟漫才に、「否定しない突っ込み」というものがある。ボケ役の常識外れの言動に対して、〝それもあるかもしれない〟などという突っ込み方をする。

 

〝それもあるかもしれない〟とは、全面的な否定ではないけれど、決して肯定されていはいない。いや、むしろ否定的なニュアンスが強いと思われる。

 

けれどこれまでのように、「バカか、お前はっ!」と言って、頭を引っ叩く否定とは随分雰囲気が異なっている。当たりが柔らかくなっている。

 

それとともに、「容姿いじり」で笑いを取ったり、下ネタで笑いを取ったりすることは、大きく減ってきていることは間違いない。

 

これは、そこが〝ストロング・ポイント〟だった芸人の方々にとって、辛い時代になったとも言える。それがあるから、他のセールスポイントが不要だった芸人には辛い状況だ。

 

しかしそこを乗り越えてこそ、『話芸』が磨かれてゆくとも言える。見ただけで笑える(これを〝出オチ〟とも言う)ことが、芸人としての武器にならない時代がやって来たから。

 

石井氏の意見を読んで、案外この辺りの変化が、真の意味での「お笑い第七世代」を性格づける〝分かれ道〟になるのかもしれないと思った。