町並み保存と京町家 | がいちのぶろぐ

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昨日は原稿を書き終わっていたのに、投稿を忘れるという馬鹿なことをしてしまった。さらに、今日は朝早くから夕方まで、京大病院で検査と点滴治療のフルコースだった。

 

昨日の未明からは久々の雨模様になった。一日中、「氷雨」という言葉がぴったりしそうな冷たい雨が降ったりやんだりしていた。

 

元日から考えれば11日目にして、ようやくカラカラだった空気に若干のお湿りが加わった。そして今日も、朝、病院へ行く時点ではまだ雪がチラチラと舞っていた。

 

ところで一昨日、あるインターネット情報誌で、「町並み保存の活動」という記事の見出しを見掛けて以来、「町並み保存」という言葉が頭から離れなくなっている。

 

 

 

その記事がどうこうということではなくて、「町並み」を「保存」するということに、ほんの少しだけだが、何かが引っ掛かるような違和感を持っている。

 

私は昨年の初めまで、京都市内のある高校の「総合学習」のお手伝いに出掛けていた。その高校では教員が大筋のテーマを提案し、2年生の生徒が希望するテーマ毎に集まっていた。

 

私がお手伝いしていたのもその中の一つで、「自然・文化・社会環境」という表現でくくられていたけれど、実質は〝京都市の未来〟をこうした切り口で考えようということだった。

 

 

 

そして毎年と言ってもいいくらい、「京都の町家」をサブテーマとするグループが出来ていた。それくらい、高校生にも〝よく知られた〟テーマになっていた。

 

結局のところ高校生たちは、「京都の町家」と「景観」や「保存・活用」といった言葉を組み合わせた仮説を立て、課題を見つけて、自分たちなりの解決策をひねり出していた。

 

 

 

しかし毎年のように、こうしたテーマ設定や仮説に対して、大きな落とし穴が口を開けて待っていた。「課題解決」に至る道筋の〝アイデア〟が、どうしても見えてこないのだ。

 

テーマを見出すのは簡単だけど、いろいろな仮説を立ててみても、そこから得られる課題は誰しも必ず気付くようなものばかりだった。課題が定型化してしまっていた。

 

その結果、課題解決策を考えても新鮮味もなければ、高校生という自由な立場からの面白い切り口もなかなか浮かんで来ない、という状況だった。

 

 

 

そこである時、こうしたテーマを選んだ生徒に対して、私がとても皮肉な言い方で「あなた方は、自分が京町家に住みたいと思うか」と問いかけてみた。

 

4,5人のグループだったが、全員が口をそろえて「いいえ」と答えた。そこで、「自分たちが住みたいと思わないのに、人に向かって何をどう推奨するのか」と追い打ちをかけた。

 

 

 

そこから生徒たちの苦しみが始まった。まずたどり着いたのは、「京町家の優れている点」を探すことだった。次に、「それが現状でどんな意味を持つか」という自問自答だった。

 

その生徒たちが課題解決の方向として見つけてきたのが、「町並み保存」という言葉だった。「京町家が立ち並ぶ景観」を〝良し〟として、景観保全を計ろうという考えだった。

 

そこで京都市内に何ヵ所かある、京都市が保全地区に指定した「京町家が連担した町並み」を、生徒たちはフィールドワークとして見学に行った。

 

 

 

こうした地域では実際にどんなことが行われ、どんな課題が浮かんできているのかを、聞き取りをしたりしながら、自分たちで課題を見出す作業を行った。

 

 

 

そこで課題解決策として、生徒たちの議論で浮かんできたのが、京町家を〝カフェや簡易宿所〟に利用する案だった。議論に疲れたのか、誰が見ても安易すぎる結論だった。

 

仕方がないので、「カフェ・ホテル・カフェ・ホテルと立ち並ぶ町になるの?」と、再び嫌味たっぷりな問いかけを言わざるを得なかった。生徒たちは、そこでまた絶句した。

 

「街並みを保存する」ためには、建物の〝外側=外観〟だけを残せばよいことになる。内部はそっくり入れ替わったとしても、外観が保たれたならそれでも町並みは残る。

 

 

 

それでも良いのであれば、カフェ・ホテル・カフェ・ホテルと立ち並んでいても大して問題はない。現代においては、むしろその方が外観は保ちやすいかも知れない。

 

こうした街並みが価値を生み、その景観を求めて人がお金を支払うのであれば、そこでは一応は「町並み保存」が成立するだろう。

 

 

 

ただし「暮らしの場」という、それまではごく普通にあったものとは全く異なる、〝外側だけの町並み〟が、映画のセットのようにそこに展開されることになる。

 

もはやそれも致し方がないことなのだ。生徒たちは、私が投げかけた「カフェ・ホテルが立ち並ぶ町になるのか」という意地悪な質問に対して、それでも良いと言い切った。

 

京町家が立ち並ぶ景観が保全されるのが先で、もはや生活は無くても良いという結論だった。これはこれで潔い考え方だし、それも〝あり〟だと言えなくもない。

 

だけどこうして生活と切り離された状態が続けば、きっといつの日か「町並み保存」という意識が壊れる時が来るのではないか、という気がする。

 

 

 

暮らしの拠点でなくなった建物は、新たに生まれ変わった使用目的に対して、最適化せざるを得ない。外観を利用することで成立する状況が、この先も永遠に続くかどうか。

 

「町並み保存」という〝運動〟が、「暮らしの拠点」という内実を伴って戻ってくる日はもう来ないのだろうか。そんな夢物語はもはや回復不可能なのだろうか。

 

その時の高校生たちも今では大学生となり、そんな授業があったことも思い出さないかもしれない。それもまた、時の流れなのだろう。