商売繁盛で笹持ってこい、ではないけれど | がいちのぶろぐ

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昨年の今日1月10日は「十日戎」のお参りに、京都の恵比須神社へ出掛けていた。それから2日後の12日から、食道がん治療のために第1回目の入院を控えていたのだが。

 

その時点では、コロナ禍だから入院前の2週間はなるべく外出を控えるようにと、病院から指示が出されていたけれど、まあ毎年のことでもあるからと出掛けたのだった。

 

ただし入院した日にPCR検査を受け、陰性が判明して初めて正式に入院が許可されたのだった。万が一にでも陽性となっていれば、周囲には多大の迷惑をかけたことだろう。

 

そして今年も、今日1月10日の「十日戎」に出掛けてきた。この「十日戎」、関西で言う〝えべっさん〟は、8,9日が宵戎、11,12日が残り福と言われている。

 

 

 

商都の大阪では、堀川戎さんや福娘で知られる今宮戎さんが有名だし、恵比寿神の元締めの西宮戎神社では、福男を目指して毎年大勢の若者が猛ダッシュで境内を駆け抜ける。

 

その点、京都の恵比寿神社はこれと言って特に何ごともなく、さして広くもない神社に大勢の人がお参りするだけ、ということだ。

 

 

 

ただ京都の恵比寿神社で一つだけ面白いのは、「横参り」というお参りの仕方があるということだろうか。本殿にお参りした後で、本殿の横へ回って壁板をドンドンと叩く。

 

なぜそんなことを?これが実に面白い理由なのだ。「えべっさん(恵比寿神)も、こない仰山の人からあんじょう頼むと言われても、いちいち全部は聞いてられんわなぁ」となる。

 

そこで、本殿の横に回って壁板をドンドンと叩き、「えべっさん、わてどす。さっき、お賽銭入れましたよって、あんじょう頼みますわ」と、恵比寿神にプレッシャーを掛ける。

 

 

(以前の「横参り」の様子)

 

これが「横参り」であり、早い話が〝ズル〟とは言わないけれど、わりと自分勝手な〝願いごと〟のやり方なのだ。これは、他の戎さんでもやっていることなのかは知らない。

 

去年、ブログでこのように「横参り」のことを紹介した。そして去年は立て看板が出ていて「横参りを中止させていただきます」と書かれていた、とも書いておいた。

 

その時、恵比寿神と言えどもコロナ禍には勝てなかった、と書いたが、今年もやはりこの「横参り」は中止するという立て看板が出されていた。

 

 

 

やはり今年も、オミクロン株のせいで感染者が急増している中で、「横参り」で無理に頼みごとをされても、〝神さんでも、聞けんこともある〟という〝えべっさん〟のご都合だろう。

 

今日は10時半過ぎに恵比須神社に着いたが、境内はもうすでに〝押すな、押すな〟というくらいの混み方だった。

 

 

 

もっとも、コロナ禍以前には9日夜の宵戎にお参りしようと思えば、それこそ〝押すな、押すな〟では済まないほどの混み具合だったから、それよりはまだましかも。

 

それ以上に、去年も感じたけれど、今年もやはり露店が少ないように思えた。昔は四条通から恵比寿神社まで、〝切れ目なく〟というくらい多くの露店が出ていた。

 

そのことを思えば、今は四条通から恵比寿神社までの間にマンションやらホテルなどもでき、露店を出せない場所が増えたので、やや飛び飛びに出ているという印象を受けた。

 

もっとも、恵比寿神社の境内は昨年よりも人出は多いように感じられた。鳥居をくぐったところから本殿の前まで、ぎっしりと人の列が続いていてノロノロと進んで行った。

 

 

 

コロナ禍とは言え、本殿には例年通り水産業者の団体から、大きなマグロが1匹デーンと奉納されていた。商売繁盛の神様だけのことはある。

 

 

 

〝えべっさん〟にはお参りをしたが、福笹授与所は人がいっぱいで近付くこともできないほどだった。さして広くない境内で、お神籤を引いたり末社にお参りなどをした。

 

 

 

帰りには鴨川に架かる団栗橋(どんぐりばし)から遥か遠くの北山を眺めたり、高瀬川の流れを眺めたりしながら、散歩を兼ねて四条河原町まで歩いた。

 

お昼御飯用に、お目当ての〝551蓬莱の豚まん〟を、高島屋の〝デパ地下〟に寄って20分ほど並んでやっと買い込み、帰宅した。

 

ということで今日もまた例年通り、商売をしているわけでもないのに、商売繁盛を願って(?)「十日戎」のお参りに出掛けていた。