若い鮮魚店店主のチャレンジの記事 | がいちのぶろぐ

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老舗の鮮魚店を継いだ青年が、面白い取り組みを意欲的に行っているという話題が、昨日配信されていたインターネット情報誌〝Gyoppy!〟に掲載されていた。

 

山形県の内陸部にある町の鮮魚店の話だった。その店の若い店主はインタビューの中で、「実は今、地方からは魚が消えています」と語ったということだった。

 

 

 

「スーパーマーケット、学校給食、あらゆるところが生魚を取り扱わない流れになりつつある」と記事に書かれていた。確かに少しショッキングな記事である。

 

山形県という土地柄は、「江戸時代から明治30年代まで北前船(きたまえぶね)という商船が日本海側を行き来していた」から、内陸部でも「日本海側の魚が来ていた」という。

 

しかし「現代は逆に、地元の魚を集めるのが難しい時代になっている」という。「どこでも流通できるので、大きなところに集めてから再分配するほうが効率的」という時代だから。

 

「地元・山形にこだわって集めたい」けれど、「そのほうがはるかに難しいし、コストもかかる」時代になっている。

 

「基本的に、魚の流通はとにかく数」だけど、地元で買い付けるとなると、 数がさばけないために「市場が引き受けるリスクがどうしても大きくなって」しまう。

 

その一方で、「魚を食べる人がどんどん減って」いるし、「そもそも生魚を扱う店」が減ってきているという。「刺身を出すスーパーがすごく少なく」なってきているというのだ。

 

 

 

また「今はセントラルキッチン化して大規模になった」ので、学校給食からも「地元の魚が消えて」いるらしい。

 

給食である以上「食材を均一化しなくてはいけない」けれど、「魚を全部同じ厚さに揃えたら、ロスがすごく出てしまう」から、地元の鮮魚などでは無理になっていると説明されていた。

 

「骨がなくて、同じ規格で、均一で焼けるもの、となるとおそらく海外の冷凍の魚になってしまう」ということだ。

 

もっと身近で考えれば、「子育て世代が魚を扱わない、食べないということは、その子どもにも魚を調理する技術は伝わっていかない」ということになる。

 

 

 

だからこの鮮魚店の若い店主は、「魚を使わないという選択をする人たちが増えると、市場もどんどん仕入れられなくなって、地方はより魚の集まらない地域になっていく」と心配していた。

 

そのために、今回、自分で鮮魚を食べさせる飲食店を開いたのも、「飲食業に事業を広げたのではなく、魚屋としての実験」をしているのだという。

 

「その時期の旬や料理の方法などを、丁寧に提案できる」場作りをしたかったし、「適切な処置をして、たとえば熟成させてよりおいしくさせるとか、長持ちさせる」といったことも視野に入れている。

 

 

 

つまりは、「時代の変化になるべく沿っていける魚屋さんでありたい」と考えているのだ。だから、「魚の処理や食べ方を教えるワークショップをやるのもいいかも」知れないと話す。

 

「鮮魚の小売りや飲食のように魚自体を売るんじゃなくて、魚のコンテンツを売る」という考え方もできるだろうと、この店主は考えている。

 

記事でも結局のところ、「『魚って美味しい』という純粋な喜びを未来につなげていく」ということになるだろうと書いていた。

 

「人が大都市に集中するのと同様に、食材も人口の多い都市へと集中して」いるけれど、「まずは魚を食べて、おいしいと思ってもらう」ことから、「文化は未来へとつながって」いくというのだ。

 

 

 

「『魚を売る』だけに留まらない方法で人と海を」つなぐことで、「プロからの知識や新たな体験も同時に得られる買い物」へと変えて行くことだと結論付けていた。

 

この記事の言っていることは、まさに本質を言い当てていると思う。鮮魚店に関わらず、青果店でもそうだと思う。商品を売るには、まず商品をコンテンツとして見直すという作業が必要だろう。

 

単に〝品物に価格を付けて販売する〟のではなく、かつてどこの商店街でも見られたように、その商品を今ならどう食べれば美味しいかを、店の側から訴えることが必要なのだ。

 

これが、コンテンツを売ることの意味だと思う。とてもいい記事だった気がしている。