大晦日、ふと目にした記事に惹かれて | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日は大晦日。千葉都民の娘の家族は、昨日のうちにご主人の実家の奈良県に到着したと、LINEで伝えてきた。明日の夕方にはこちらにやってきて、3日には千葉へ戻るという。

 

コロナ禍もオミクロン株の拡大で、徐々に感染者数が増加し始めている。諸外国も、オミクロン株によって、またまたロックダウンなどの状況が生まれつつある。

 

そんな中でも、何とか今年は帰省が叶ったので良かったとしておこう。ただ、ソウルに単身赴任中の息子は、帰国予定がこの間の規制拡大でまた断念になってしまった。

 

今年は、私も歳相応(?)に「がん」の宣告を受けて、入退院を繰り返すなど、闘病(というほどでもなかったと思うけれど)に明け暮れた年になった。

 

ということで、この1年間、大しておもしろくもないブログにお付き合いくださった皆様に、心よりの感謝を申し上げます。

 

来年こそは私にも、このブログを目にされた皆様にも、良き年となりますようにお祈りを申し上げます。

 

ところで今日、フェイスブックを流れるタイムラインを何気なく見ていたら、「和楽Web.」という雑誌のオンライン版に面白い記事が掲載されていた。

 

与謝野鉄幹を巡る2人の女性、与謝野(鳳)晶子と山川登美子の相克について書かれた記事だったが、その内容が〝なかなか〟のものだった。

 

この記事を読めば、与謝野鉄幹という人物が、単に日本の短歌を大きく変えただけではなく、男性として、こと女性関係についてはハチャメチャな人間だったと思わざるを得ない。

 

といった中身の記事だったのだけど、それにしても2人の天才女流歌人は、それぞれに凄い才能の持ち主だったことが良く分かった。

 

与謝野晶子は、鳳姓から与謝野姓になっている通り、与謝野鉄幹が前妻と離婚したのちに結婚したわけだが、その分、山川登美子の方はいわば片思いに終わってしまったことになる。

 

この2人が、まだどちらも鉄幹を恋していたころに詠んだ短歌が、記事の中で並べて紹介されていた。

 

清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき  晶子

木屋街は火かげ祇園は花のかげ 小雨に暮るる京やはらかき  登美子

 

記事の筆者は、晶子の短歌は〝キラキラ〟としているし、登美子は〝しっとり〟としているという評価だった。確かに納得できる評だと思う。

 

 

 

さらに記事では、若くして病を発してからの登美子の、次のような歌も紹介されていた。

 

わが死なむ日にも斯く降れ京の山 しら雪たかし黒谷の塔  登美子

 

たまたま今日の京都の街は、午前中、かなりの雪となっていた。さすがに町中で積雪というところまではいかなかったけれど、私が買い物に出掛けた時はかなりの降り方だった。

 

 

 

登美子の黒谷の三重塔に降り積もる雪の情景と、自分の病とを重ね合わせた情景描写から、黒谷・金戒光明寺からほど近い蹴上浄水場にある、晶子の歌碑の歌を思い出してしまった。

 

御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまえ紫の水  晶子

 

黒谷を中に挟むように、東山沿いに知恩院と聖護院が存在している。そして、蹴上浄水場もその並びの中にある。実はこの歌の日、3人は蹴上の辺りの旅館に同宿していたらしい。

 

かたや、自らの死期を心の奥底に秘めた登美子のその後の歌と、もう一方は後に憧れの鉄幹と一緒になった晶子とは、それぞれに思い描いた京の町がこれほどに違いを見せている。

 

ただし、記事の中で登美子の〝しっとり〟と表現されていた情感の方が、この歳になった私には何となく受け入れやすい気がするのだが。

 

さて、あと6時間で除夜の鐘が聞こえるだろう。明日の夜からしばらくは、豆台風くんのワォーという感じの声が我が家に鳴り渡る。ジイジには最高のプレゼントだが。