寒い日だったが、何とか大雪は免れた | がいちのぶろぐ

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今朝はさすがに寒かった。我が家の小庭の蹲(つくばい)も、この冬初めて凍てついていたし、脇の植木には雪がほんの少しだけど被っていた。

 

 

 

それでも京都市内は、昨日から10cm前後の積雪を予想、と脅されていたほどには、結果として積もらなくて少しホッとした。日本海側は、大雪で大変らしいけれど。

 

今朝、8時半過ぎに京大病院へ出掛けた時には、日陰のところで道がツルッと滑りそうになる場所もあったけれど、その程度で終わってくれた。

 

それでもバス停のベンチはうっすらと雪が残って、座ることはできない状態だった。JRなどもいろいろあったようだが、市内の大通りは全く問題なくバスも動いていた。

 

 

 

そんな状況で、年内最後のガンの点滴治療に出掛けた。今日は待ち時間が比較的短く、何ごともスムーズに進んだお蔭で、午後2時過ぎには家に帰り着いていた。

 

主治医に今年一年お世話になったお礼を述べたが、考えてみれば、人生で初となった入退院の繰り返しも経験し、私にとって今年は激動の一年だったと言えるだろう。

 

 

 

ところで、昨日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌で、「『憧れのあの人がいるごっこ』をする そこそこ幸福に生きる40のコツ」という記事を見かけた。

 

〝バク〟と名乗る、仮名の精神科医が書かれた記事だった。これが実に面白かった。何が面白いと言って、その発想というかシチュエーションが秀逸だった。

 

「目の前に『あ、この人の前でダサいところ見せたくないな』という人がいると仮定したら、いろんなことを引っ込めないとまずいですよね」で始まっていた。

 

要するに、自分を〝恰好よく見せたい〟と思う人を前にしたとき、「あの人の前ではそんなことできない」と思うような振舞いはしないだろう、というのだ。

 

「30分だけでも」こうした「憧れのあの人がいるごっこ」をしてみれば、「『今までいやだったこと、億劫だったこと』が、少しだけ楽しくなったり、見る目線が変わったり」する。

 

「こんなごっこ遊びを始めるだけで生きづらさが少しでも解消されるなら、すごくコスパのいい解決方法」ではないかと、記事を書いたバク氏は言っている。

 

「辛いことを辛いままに受け止めるのは、もう止めましょう。しんどいだけです」とも述べる。その通りだと思う。

 

「たくさんの面白い考え方を脳内に取り込んで、気が向いたもの、自分に合いそうなものを選択して実行」すればいい。

 

だから、「誰かに言われたから選択しないといけないことは、実は、あなたの人生には何一つありません」と断言してくれる。〝その通り〟と思わず拍手をしそうになる。

 

「でも、選択する自由の背後には、いつも責任と義務がついて来ることは忘れないようにしましょう」と、追っかけて来られた。〝選択〟したのは、誰でもない自分なのだ。

 

あの人に〝こうしたら〟と勧められたから、とか、あの人が〝あれほど強く〟言ったから、といった他人への責任の転嫁はやめようということだ。あなたが選択した、ということだ。

 

バク氏は結論として、「他人に自分の人生の主導権を握らせるのは、やめたほうがよさそう」だと締めくくっていた。

 

自分が主体となって人生を選択する。その際に、「ごっこ遊び」という考え方で、「憧れのあの人がいるごっこ」をすれば、何かを〝する前〟から嫌だと思うことは減るだろう。

 

その代わり、自分がこうだと思って選択したことは、自分自身の責任の下に行う。誰の所為(せい)でもない。誰の所為にしてもいけない。

 

こういう考え方で、自分の生きて行く道筋を選択して行けば、きっと心が軽く生きられるのだろう。嫌だのシンドイだのと、愚痴を言っていては心が弾まない。

 

それにしても、「憧れのあの人がいるごっこ」ねぇ。ここでハタと気が付いた。憧れのあの人など、もはやいないかも。浮かんで来ないかも。高齢者ってこんな時に不便かも。