京の町中の、由緒が〝塊〟になったような神社巡り | がいちのぶろぐ

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寒くなってきたとはいえ、家の中に引き籠もってばかりもいられないので、今日は先日惨敗した「京都検定」の復習も兼ねて、町中を散歩していた。

 

まずは市民に向かって財政危機などと言いながら、自分たちのお城には不必要な出費をしたと評判の「京都市役所」の前から出発。

 

 

 

外観の見掛けは変わったように見えないけれど、屋上だったり地下街通路だったりと、変なところにいっぱい細工がされて、当初予算を大幅に上回ったらしい。知らんけど。

 

さて市役所の少し西になる、〝麩屋町押小路下る〟には「白山神社」がある。「白山権現(はくさんごんげん)は白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神」だとされている。

 

 

 

その総本山である加賀白山の白山比売神社と、その地を治める国司か何かとの間で揉め事が起き、僧徒神徒などが神輿を担いで京都まで〝強訴〟にやってきた。

 

 

 

途中から近江の日吉大社の神輿も加わって、朝廷に強訴したけれど願いは聞き入れられなかった。怒った白山側は、京の町中に神輿を放り捨てて加賀へ帰ってしまった。

 

 

 

放置された神輿を、仕方なく地元の人たちがお祀りしたのが、この白山神社だと言われている。地元民には厄介な話だが、このお神輿に載った神さんは歯痛に霊験があったらしい。

 

それで歯痛快癒や乳児の〝食い初め〟の神さまとして、今も信仰されているのだという。こんないわれを持った小さな神社が、ビルの谷間に鎮座していた。

 

そこから「押小路通」という、京都の町のド真ん中あたりを東西に走る通りを散歩した。いきなり角っこの家がとんでもない家。何だこりゃ、〝珍百景〟ものじゃないか。

 

 

 

 

そこから西へ行くと、「錺(かざり)」と暖簾を掲げたお店があり、「面庄」とガラス戸に入ったお店があり、「奇竹堂」いう暖簾のお店がありと、とんでもなく面白い。

 

 

 

 

 

さらに少し行くと「大江能楽堂」がある。築100年を超える由緒正しい能楽堂が、この間大改装を続け、今年9月には舞台板を全面リニューアルしたと書かれていた。

 

 

 

 

さらに西へ行って烏丸通を越えると、次の通りは「両替町通」。そこの町名は「金吹町」となっていた。歴史だねぇ、と言いたくなってくる。「金属を吹く=製錬する」だから。

 

 

 

その昔、この周辺に集まっていた両替商では、〝金を吹いて〟純度を高めていたかもしれない。そんな気がしてくる町名だ。

 

そこからさらに西へ行くと、〝西洞院押小路下る〟に「御金神社」がある。金色の鳥居が何やら景気がよさそうでありがたいのか、今日もお参りの人が行列をしていた。

 

 

 

元来は、金属精錬なんぞの神様だったということなんだが。先ほどの金吹町と重ねて考えれば、なるほどと納得できるけれど、お参りする人は別の思惑でお参りしているのだろう。

 

私には、まったく〝縁も円も〟ない神様だから。あまりお近付きにもなりたくないので、さっさと迂回して南へ向かう。京都のメインストリートの一つ、広い御池通を渡る。

 

 

 

さらに一本南の通りである「姉小路通」に出て、少し東へ戻ると「高松神明神社」と出会う。源高明邸があった場所で、一時期は近衛天皇が仮住まいされたこともあったらしい。

 

 

 

 

後白河天皇もここで即位されたとか。とにかく由緒が〝塊〟で存在する場所みたい。とどめは「保元の乱」の際に、崇徳上皇を攻める後白河天皇軍の本拠地になった、と書かれていた。

 

 

 

それがなんとも、こちらの神社もビルの陰でひっそりと存在している。しかも、ここにはあの「真田幸村」の念持仏だったという「地蔵尊」まで祀られている。

 

 

 

ということで、このあとは大型書店の大垣書店烏丸三条店に立ち寄ってから帰宅した。知らなければなんということもない、町中のビルに埋もれてしまいそうな神社巡りだった。