病院の待ち時間に読む本が変わった | がいちのぶろぐ

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今日は定例の病院通いの日。朝9時から午後3時前まで病院にいた。相変わらず待ち時間が長いから、おかげで今日も読書がはかどった。

 

 

 

これまで病院で読んでいた本は、京都検定の受験に少しでも〝足し〟になるようにと、京都に関わる新書版の本を持参していた。

 

例えば、林屋辰三郎先生の岩波新書「京都」であったり、本郷和人氏の文春新書「承久の乱」であったりした。

 

 

 

ちなみに「承久の乱」と呼ばれる戦いは、後鳥羽上皇と鎌倉幕府の執権・北条義時の間に起った戦いである。これがあったのが1221年。今からジャスト800年前のこと。

 

実に良いタイミングとばかり、私はこの出来事に〝山を張って〟いた。なんと、京都検定に出ていましたよ、ハイ。〝山勘〟がピッタリでした。というか、普通誰もが思いつく。

 

出題する方だって、これだと出題しやすい。だから、本郷氏の新書を丸々一冊、きちんと読みこんでいた。それもほとんど、病院の待ち時間に読んだようなものだった。

 

というようなことがあって、今日はさすがに、病院へ持参するのは京都関連の本ではないものにしようと思った。

 

それで、この間、読みかけで長らく置いていた斎藤幸平氏の集英社新書「人新世の『資本論』」を持って行った。

 

 

 少し読んだだけでも、これはワクワクする面白い本だとわかっていたけれど、この間の私の精神的な状況では、京都関連の本以外は脳の真ん中が受け付けなかった。

 

今日はその状態から解放されて、やっと「人新世の『資本論』」の続きを読む気になった。そうしたところ実に早く読み進められて、1時間余りの待ち時間が全く苦にならなかった。

 

とにかく気になっていた本だから、今週中にはササっと読み終えてしまおうと思う。

 

ところで、一昨日の夜、若い人たちとの小さな出会いの場に行ったことは、ブログですでに書いておいた。

 

 

 

その席で、話の流れでスェーデンの若い環境活動家の、グレタ・トゥンベリさんに話題が及んだ時、私には「人新世の『資本論』」と彼女の活動が重なって見える、という話をした。

 

そのことは、今日、病院で読んだ部分でも再確認できた。それにしても、著者の斎藤幸平氏はまだ30代半ばだし、トゥンベリさんに至ってはまだ10代だ。

 

こうして若い世代が次々に、〝22世紀の人類〟に向かって、私たちが今何をなすべきか、必死に問いかけている。これに応えるのは大人の役割であり、そこから逃げてはいけない。

 

私などもう後期高齢者になって、社会的にはもはや何ができるわけでもないけれど、〝これは〟と思う若い人たちの考えや働きを、少しでも世に伝え広げて行くことも役割だと思う。

 

今日は、病院でそんなことを考える一日になった。