明日はいよいよ京都検定の試験日 | がいちのぶろぐ

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今日は昨日も言っていたように、一日中机にへばりついて、「京明日はいよいよ都・観光文化検定(京都検定)」の受験のために、典型的な「一夜漬け」を必死になって行っていた。

 

もう時間的には後がないわけだし、1級の解答方法は選択肢から選ぶ択一式ではなくて、自分で解答を記入する方式であり、知っていなければ書けないということになる。

 

しかも、〝これは何〟とか〝この人は誰〟といった知識を問うだけでなく、事件や人物に関わる設問を読んだ上で、「何文字以内で解答しなさい」という設問も用意されている。

 

 

 

もはや、大学受験で日本史を選択するよりも細かく、さらに深掘りした内容に対する知識を試されている。早い話が「京都ヲタク」におなりなさい、と宣告されているのだ。

 

いささか頭痛が起き始めているかもしれない。パニックというよりも、頭がパンク寸前の状態だ。この状態で、試験がさらに1週間後に変更になったら、頭が爆発するだろう。

 

今日は朝から、他のことは何も考えることもできなければ、何も手につかない状態が続いている。後はもう、早く試験が終わることしか頭の中には無い、といった方が正しい。

 

 

 

こんな文章を作成することすら、〝まどろっこしく〟思えて来る。それにしてもこの半年ほど、抗がん剤治療が終わってからというもの、体力の極度の衰えを感じていた。

 

にもかかわらず、今までに行ったことが有っても無くても、なるべく試験と関わるような目線で、寺社仏閣を訪ねて回るようにしてきた。

 

そうは言っても、少し早く歩けばすぐ息切れするし、お寺や神社が山の中腹のような場所にあることも多いから、石段や急坂を上るのにもとても難儀をした。

 

 

 

若いころであれば、さっさと行き来できた道程だと思うけれど、今となれば途中で立ち止まって息を整えながら、山の中腹にあることを恨めしく思わざるを得なかった。

 

「なんで平地にないんだよ~!」と、寺社を訪ねながら心の中で何度叫んだことだろう。ただ、こうして受験対策も行ってきたけれど、過去問にチャレンジしても精一杯で60%だ。

 

1級合格は80%、準1級認定でも70%必要という、私にはあまりにも残酷な基準が設定されている。明日、試験会場から出てくるときには、精も根も尽き果てていることだろう。

 

それでも60%くらいの正答率では、結果的に何も得られないのだ。せめて70%に達してくれたらと甘い期待を抱きながら、今夜は眠りの浅い夜を過ごすことだろう。