パソコンの移行作業がすべて完了した(^^♪ | がいちのぶろぐ

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ようやくパソコンの移行作業が終了した。ほんとに〝ようやく〟という感じだ。新しいパソコンの基本的な設定作業は昨日終わったが、データの移行にずいぶんと時間がかかってしまった。

 

古いパソコンに入っていたデータは、この20年ほどの仕事と関連したものである。それも、もう二度と使うことはないだろうけれど、私にすれば生きてきた証のようなものだ。

 

だからどうしても、〝取っておきたい〟という欲望に駆られてしまう。ついつい溜まってしまうという点では、家の中の荷物と似たようなものだろう。

 

ただ有難いことに荷物と違って、データはUSBクリップの中にしまっておける大きさだから、何十年分を貯め込んでも、それであまりスペースをとることはない。

 

 

ところで、これまで長くデスクトップパソコンを使っていたので、キーボードとモニター画面が離れていた。しかもキーボードのキーは、押し込みのストロークがそれなりに大きかった。

 

ところがラップトップ型のパソコンになって、一挙に指先の感覚が変わった。さらに、キーの配置も微妙に変わった。だから文章を入力していても、なかなか入力の速度が上がらない。

 

誤入力してもdelete(取り消し)キーの位置が異なっていたり、数字キーが近くて「0」に小指が引っ掛かってしまったり、入力に難儀を続けている。人間の習慣は、容易には変わらないものだ。

 

 

今日は、できればどこかへ散歩に行きたいと思っていたのだが、結局こんな状態で家に引き籠もってしまう結果になった。

 

その代わりというと変だが、データの移行作業の途中で昔の仕事の中味を見たり、読んだりすることも少なくなかった。古い本を片付けていて、つい手に取って読み出してしまうのと変わらない。

 

時には、残っていた古い写真に写っている友人の顔を見て、思わず〝若いなぁ〟と呟いてしまうこともあった。これでは移行に時間がかかるばかりだ。朝から初めて、ようやく落ち着いた。

 

今日からは、この使い始めた新しいラップトップ型のパソコンが相棒になる。あまり出来の悪い製品でなければ、〝この子〟が多分私の最後の相棒になるだろう。

 

そう思えばなんとなく愛しくなって、可愛がってやりたくもなる。このように、無機的な〝モノ〟に思い入れを持つ感覚って不思議なものだ。

 

そういえば、かつて工場で人型ではないロボットや無機的なマシンに、それを扱う作業者が愛称として人間的な名前を付けることがある、という話があった。無機的な機械を擬人化するのだ。

 

こうした擬人化などは、他の国の工場では滅多にないと、その時に聞いた覚えがある。名前を付けるという行為は、その瞬間から自分との間に関係性を生み出す精神的な行為だと思う。

 

だからこそ無機的なマシンを大切に扱い、自分と馴染むように〝育てる〟感覚を持つようになる。そうしてマシンが相棒になってゆく。料理人なら包丁がこれに当たるだろう。

 

こうした精神構造の在り方は面白いと思う。きっと〝職人気質〟という言葉と表裏一体のものなのだろう。使うモノへのこだわりは、それを使う自分へのこだわりだと言ってもいいだろう。

 

パソコンを入れ替えただけだけれど、こんな気分になっている。「いえいえ、決して古女房に嫌気がさしたということではありません。断じてそうではありません」と言っておかないと・・・。